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連載 被爆70年

平和首長会議 加盟都市からの首長メッセージ 茨城・千葉

①水戸市 高橋 靖市長

 原爆投下から70年を迎えます。多くの尊い犠牲により今日の平和があるということを私たちは忘れてはなりません。戦争を体験した世代の高齢化が進む今日、その悲惨さ、平和の尊さを次世代に伝えていくことは私たちの責務です。

 核兵器廃絶平和都市宣言30周年を迎える水戸市では、次世代を担う若者たちが、平和や核兵器廃絶について学び,自ら考える機会となるさまざまな事業を推進し、恒久平和の実現への思いを伝えてまいります。

②茨城県かすみがうら市 坪井 透市長

 昭和20年8月6日、9日に広島、長崎に原子爆弾が投下され、多くの尊い命が一瞬にして失われました。被爆された方々に対し、ここに衷心より哀悼の意を表します。

原爆投下および太平洋戦争の終戦から70年が経過いたしますが、唯一の被爆国である日本は、これからも核兵器廃絶に向けて各国に訴えていく必要があります。

 過去を振り返るのではなく、過去の経験を生かし、今後の世界平和のために活動していくことが、われわれの使命であると考えます。

③茨城県常総市 高杉 徹市長

 ヒロシマ・ナガサキ被爆から70年、私たちはあらためて核兵器廃絶と戦争のない世界をめざすことを世界に発信していきたい。

①世界唯一の被爆国である日本は、あらゆる国に対して核兵器の廃絶を訴えていくこと。

②世界に誇るべき平和憲法9条の意義を国際社会に発信し、戦争のない国をつくる運動を強力に推進すること。

③平和首長会議は自治体と市民の中に平和行政・平和教育を広げていくこと。

 以上に全力を尽くしたい。

④茨城県つくば市 市原健一市長

 つくば市は平成2年に、核兵器廃絶と平和の願いを内外に示すために「非核平和都市宣言」を行っています。平和は人類共通の願いでありますが、世界各地では今なお戦争や紛争が根絶されていないのが現状です。

 かつて戦争を経験し、唯一の被爆国でもある日本に生まれ育つ私たちは、この悲しい出来事を二度と繰り返さないためにも平和の尊さを深く認識しなければなりません。

 被爆70年にあたり、被爆者の高齢化が進む中、核兵器のない世界の一刻も早い実現に向け、今後も核兵器廃絶と恒久平和を祈念してまいります。

⑤茨城県鉾田市 鬼沢保平市長

 1945年に広島・長崎に原爆が投下され、被爆から70年を経過しようとしています。今日、被爆をされた方の年齢も高齢化し、現在でも多くの方々の心と体の苦しみはいまだに続いています。

 被爆者、そして国民の願いである核廃絶に向け、さまざまな平和運動が展開される中、世界各国においても核廃絶の機運が高まっています。

 しかし、一部の国では新たな核兵器の開発・増発の動きなど、依然として脅威が存在しております。

 核兵器を地球上より廃絶し、平和な社会を実現することは、世界人類の共通の願いであります。

 一日も早く核兵器のない、平和な世界が訪れることを願っております。

⑥茨城県美浦村 中島栄村長

 原子爆弾により広島が被爆した瞬間から70年。多くの掛け替えのない命が奪われ続けた時間でもあり、広島の人たちがその悲劇を心に抱きながら平和へのメッセージを発信し続けた時間でもあります。その意志とたゆまぬ努力に、心より敬意を表します。美浦村は昭和63年に非核平和美浦村宣言を掲げて以降、継続して平和記念式典に参加者を派遣しており、被爆を体験された方の講話を拝聴しています。非核平和の切なる願いを、未来を担う世代に伝えていかなければなりません。

⑦千葉県我孫子市 星野順一郎市長

 我孫子市は、昭和60年に「平和都市宣言」、平成20年に「平和事業推進条例」を制定し、市民の協力と参加のもと、平和事業に取り組んできました。その一環として、原爆や戦争の恐ろしさを知り、平和の大切さを学んでもらうため、平成17年から毎年、中学生を広島や長崎に派遣しています。

 今年は、被爆・戦後70年の節目の年を迎えます。戦争や原爆を体験した方が少なくなる中、我孫子市は今後も地道な取り組みを続け、戦争と核兵器のない世界の実現に向けて努力してまいります。

⑧千葉県浦安市 松崎 秀樹市長

 戦後70年を迎え、東西冷戦が終結してから四半世紀が経過した今日においても、世界情勢に目を向けると、平和な世界とは言い難い状況が続いています。

 本市ではこれまで、中学生代表を平和使節団として被爆地に派遣する事業や、市内被爆者の方々の協力による小・中学校被爆体験講話などさまざまな非核平和事業を実施し、市民のみなさんに戦争の悲惨さや平和の尊さを伝えてまいりました。

 2015年は、被爆70年を迎えると同時に、浦安市非核平和都市宣言30周年の節目の年として、さまざまな記念事業を計画し、市民のみなさんへ平和への願いを発信する予定です。今後も平和首長会議の一員として、核兵器の完全禁止と廃絶を希求し、恒久平和確立への願いを未来へ継承して参ります。

⑨千葉県柏市 秋山浩保市長

 戦後70年を迎え、ともすれば戦争の傷跡を忘れがちな昨今、私たちは、二度と戦争の惨禍を繰り返すことがないよう、戦争の悲惨さと平和の大切さを後世に語り継いでいかなければなりません。

 私たちは、一日も早くこの地球上から武力紛争と核兵器がなくなることを望んでいます。そして、国家や民族を超えて、すべての人々がともに手を携え、笑顔で暮らすことができる日を願ってやみません。

 結びに、原爆で亡くなられた方々の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。

⑩千葉県鎌ケ谷市 清水聖士市長

 わが国は唯一、核兵器の恐ろしさについて身をもって経験した国であり、世界中のどのような場所においても2度とこのような悲惨な出来事が起きないよう、平和の大切さについて訴えていかなければなりません。

 本市では、核兵器の廃絶を強く訴え、世界の恒久平和を実現するために、昭和59年7月2日、非核平和都市を宣言いたしました。

 今後も一層、平和行政を推進し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴えてまいります。

⑪千葉県鴨川市 長谷川 孝夫市長

 鴨川市では、市民共通の意識として世界の恒久平和を願い、平成19年に平和都市宣言を行いました。

 人生の諸先輩方を敬い、子どもたちの健やかな成長を見守る。そうした当たり前の営みが二度と踏みにじられることのないよう、戦争によって負った痛みを風化させないためにも、われわれは声を大にして訴えていかねばなりません。

 いまだ不穏な国際社会の中で、平和への希求は切実さを増しております。次代を担う子どもたちに明るい世界を託すべく、今後も取り組みを続けてまいります。

⑫千葉県袖ケ浦市 出口 清市長

 被爆から70年という節目に当たり、平和への祈りを込めてメッセージを添えさせていただきます。

 戦争という名目のもとに、広島と長崎に原爆が投下され、多くの尊い命が失われたことは、人類史上例を見ない大変悲しい出来事でした。

 私たちは、この教訓を忘れることなく、地球上から戦争と核兵器をなくし、平和を希求する強い理念のもとに行動し、後世に引き継いでいかなければなりません。

 皆さまのご健勝を祈念しメッセージといたします。

⑬習志野市 宮本泰介市長

 戦後70周年を迎え、原子爆弾の犠牲になられた多くの方々へ、深く追悼の意をささげるとともに、今なお、後遺症に苦しむ方々に心よりお見舞い申し上げます。

 習志野市は、昭和57年に全国で12番目、千葉県内では初めて「核兵器廃絶平和都市」を宣言しました。

 今後も世界で唯一の被爆国である日本国民の一人として、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に伝えていくとともに、恒久平和の実現のため努めてまいります。

⑭千葉県野田市 根本 崇市長

 一瞬にして多くの犠牲者を出し、核兵器の脅威を世界に知らしめた原爆投下から70年、戦争の労苦を深く理解する機会が減ってきています。野田市では、被爆当時の広島市役所庁舎側壁の一部を譲り受け、昭和61年に平和祈念碑を建立しております。今後も悲惨な歴史を繰り返すことなく、平和を願う思いを未来に繋(つな)げるため、終戦に向け奔走した当時の内閣総理大臣鈴木貫太郎翁ゆかりの地から、平和の尊さを訴え続けてまいります。

⑮千葉県船橋市 松戸徹市長

 船橋市は、昭和61年12月に「平和都市宣言」を行い、子どもたちがもっと輝けるような、高齢者のみなさんが生き生きと暮らしていけるような街にすることを念頭に、まちづくりに取り組んでいます。

 こんにち、船橋市がこのまちづくりに専念できるのは、戦後の日本が一貫して平和な国をつくってきたからです。

 戦争や原爆の悲惨さや、世界の恒久平和がいかに大切かということを次世代に伝えていくことは私たちの役割だと思っています。

⑯千葉県八千代市 秋葉就一市長

 八千代市では、昭和61年に広島市から被爆した市庁舎の一部を譲り受けて「平和記念碑」を建立し、昭和62年に「平和都市宣言」を採択しました。以来、毎年8月6日に行う「黙とうと献花の集い」のほか、「平和パネル展」や「八千代平和事業」を実施しています。

 本市は、今後とも市民の皆さまをはじめ平和を愛する全ての方々と手を携え、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の達成に向けて取り組みを進めてまいります。

 紙面 茨城・千葉