×

連載 被爆70年

[伝えるヒロシマ 被爆70年] 惨状記録の先駆け 復元 未公開写真や肉声刻む 占領明け 小中教諭製作スライド

 連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治が明けた1952年、広島県内の小中学校教諭が作ったスライド「原爆ひろしま」(約25分)が修復・復元された。記録写真や体験者の肉声をいち早く収めた先駆的な作品だ。製作代表者の難波護(まもる)氏(1905~85年)の三男祐三郎さん(71)=広島市東区=がDVD化し、原爆資料館や公立図書館へ近く寄贈する。(「伝えるヒロシマ」取材班)

 「原爆ひろしま」は、世羅西中(現世羅町)の難波さんや広島市と近郊の教諭7人が製作に当たった(中国新聞52年8月31日付)。原爆による惨禍の報道が封印されていた占領下が終わり、「なんとかしてこの悲劇を一人でも多くの世の人々に知らせ」たいと資料を集め、61こまからなるスライドに音声を付けた。

 原子雲と炎上する市街地(撮影・木村権一氏)など45年8月6日に起こった光景から、爆心地一帯の廃虚、急性放射線障害で脱毛をみた少女(同・菊池俊吉氏)と、多くがまだ未公開だった記録写真を基に被爆の実態を描く。

 さらに、米メディアが「原爆1号」と呼んだ吉川清氏、ジョン・ハーシー著のルポ「ヒロシマ」に登場する中村初子氏、現佐伯区皆賀にあった戦災児育成所で暮らす少女の体験を肉声とともに紹介。建立された原爆慰霊碑を写し、「子どもたちの、そして全人類の頭上に再び灼熱(しゃくねつ)の閃光(せんこう)を浴びせんとするのか、悲しみ、憤りの課題を私どもに残している」と結ぶ。

 当時の記録によると、53年にあった日本アマチュア・シネ・スライド協会の第1回全国コンクールで最高位賞となり、8月に広島市の中央公民館で上映された。

 修復・復元は、難波氏が三次市の実家に残していたスライドのネガ・ロールフィルムを、製薬会社の研究者だった祐三郎さんが見つけたことから。当初のシナリオも広島市立中央図書館が所蔵する「峠三吉資料」にあるのが分かり、入手。昨年夏からDVD化の作業を進め、劣化などのため音声が消えていた部分も最新のソフトで再現した。

 比治山高女(現南区)で教えていた難波氏は、疎開先から当日に入市被爆したという。視聴覚教育に戦前から携わった経験も生かし、製作を率いた。祐三郎さんは「広島原爆の歴史的な記録作品を多くの人に見てもらいたい」と、英語字幕版も作る考えだ。

(2015年5月25日朝刊掲載)