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連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年] プルトニウムの「価値」

 原子炉で人為的に生み出される核物質プルトニウム。核エネルギーの「平和利用」を選んだ日本は長年、プルトニウムを資源として活用しようとしてきた。だが、核兵器に転用できる物質を大量に持つことは、核拡散の引き金にもなりかねない。商業用の再処理工場が稼働しようとしている青森県六ケ所村と、これまで日本からの委託分の再処理も担ってきた英国セラフィールド。二つの地域から、プルトニウムの「価値」を考える。(山本洋子、金崎由美)

資源 核拡散のリスク

■英国セラフィールド 利用への技術開発急ぐ

 アイリッシュ海を望む早朝の浜辺には、犬の散歩を楽しむ住民たちがいた。絵本「ピーターラビット」の故郷とされる英国湖水地方の一角、セラフィールド地区。だがその海辺は、丘陵地に立つ再処理工場が長年放出してきた放射性物質などで、今も汚染が広がる。そこには日本の原子力政策も深く関わっている。

 「英国のほとんどの海岸線で、セラフィールドに由来する汚染が見つかっている」。1980年から一帯の放射能汚染を監視する市民グループ「CORE(コア)」の創立メンバー、ジーン・マクソーリさん(56)が説明する。

日本の会社も出資

 核兵器開発用のプルトニウム製造を柱に戦後、核施設の集積が進んだセラフィールド。その中心が、94年に運転を始めた大型再処理工場「THORP(ソープ)」だ。建設費の一部を日本の電力会社が出資し、使用済み燃料の委託処理を受け入れて「日本の工場」とも呼ばれてきた。

 セラフィールドでは57年、核兵器用のプルトニウム製造炉から火災が発生。燃料が溶け、79年の米スリーマイル島事故と並ぶ「レベル5」の重大事故が起きている。さらに80年代まで続いた再処理工場からの放射性廃液の大量放出は、アイリッシュ海を通じて他国にも汚染を拡大。アイルランド政府がセラフィールド閉鎖を求める異例の事態にも陥った。セラフィールド周辺の子どもの白血病発症率は、全国平均の約10倍に上るという調査結果もあるという。

 英政府が、経済合理性がないとして高速増殖炉の運転を終えた94年に、皮肉にもソープは稼働した。日本やドイツの再処理の受け皿とされてきたそのソープも、経済性がないとして2018年にも閉鎖される。

テロの恐れを指摘

 結果、英国内にたまったプルトニウムは世界最大の約120トン。うち約20トンが日本分とされる。英政府は引き続き燃料としての活用を望む一方で、国内の原発で使う具体的な計画はない。英国の核安全のコンサルタント、ジョン・ラージ氏は、余剰プルトニウムがテロの標的となる可能性を挙げて「テロリストたちは、核兵器を造れなくても爆発でプルトニウムをばらまく『汚い爆弾』で十分目的を達する」と指摘する。

 英国はいま、プルトニウムを「消費」する技術開発を急ぐ。英国立原子力研究所(NNL)は高圧高温をかけてプルトニウムを安全に貯蔵できる技術を研究。原発メーカーがNNLや大学などと提携し、プルトニウムを燃料として燃やす高速炉の商用化を急ぐ。

 行き場のないプルトニウムという「負の遺産」と向き合う英国。その終わりは見えない。六ケ所村を訪れたことがあるマクソーリさんは言う。「原爆と原発事故という核被害を経験した日本が、新たに大量の核物質を生む再処理工場を動かすべきではない」

平和利用は「奪い得ない権利」 NPT、再処理規制せず

 青森県六ケ所村の再処理工場が全面稼働すれば、最大で年間8トンのプルトニウムの分離が可能とされる。既にある47トンに加えて「在庫」が急速に膨らむ恐れがある。日本が国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れ、核物質を厳しく管理していても、日本を引き合いに再処理やウラン濃縮を行う権利を主張する国が増えれば国際的には厄介だ。

 ただ、核拡散防止条約(NPT)は核兵器を持たない約束をして条約に加盟した国に対し、原子力の平和利用を「奪い得ない権利」と認めている。この条約自体、再処理やウラン濃縮を規制する枠組みにはなっていない。

 国際社会では、兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約の実現も待たれている。核兵器用の高濃縮ウラン、プルトニウムなど特定の物質を生産させないことで、核軍縮・核不拡散体制の強化を狙う。

 1995年、締結に向けた特別委員会がジュネーブ軍縮会議に初めて設置されたが、交渉は進んでいない。しかも条約は、民生目的の生産を対象に含める前提になっておらず、核不拡散の観点から問題が指摘されている。

再処理工場やめるべきだ

ウェブサイト「核情報」主宰 田窪雅文氏に聞く

 先が見通せないまま継続する日本の核燃料サイクル政策。その背景や課題について、ウェブサイト「核情報」を主宰し、国内外のプルトニウムをめぐる情勢に詳しい田窪雅文氏に聞いた。

 ―プルトニウムを「資源」と位置づける日本の原子力政策をどう考えますか。
 プルトニウムは厄介な「核のごみ」。英国は数年前、国内にある日本保有のプルトニウムについて、商業的に合意できれば英国分と一緒に処分してもいいと提案した。それは日本が対価を払う必要があるという意味だ。市場価値はマイナス。ウランで燃料を造る方が安上がりだからだ。

 インドが平和利用の名目で分離したプルトニウムを使って核実験をした74年以降、核拡散を懸念した米国は再処理政策を中止。他国にもやめるよう求める方針に転換している。

 ―核拡散への影響は。
 2001年の米中枢同時テロで、「あれが核兵器だったら」との恐怖感が核拡散への懸念を高めた。核物質をテロリストの手に渡してはならないとの考えが国際的に広がり、オランダで昨春あった核安全保障サミットの声明も、核兵器に転用できる核物質の「最少化」を訴えている。

 年間で核兵器千発分のプルトニウムを取り出せる青森県六ケ所村の再処理工場の運転が始まれば、核兵器を持たない国では唯一の商業規模の施設となる。「あしき前例」となる可能性も含めて、国内では関心が低い。

 ―なぜ日本の推進方針は変わらないのですか。
 核燃料サイクル政策は既に破綻している。それでも推進派が支持するのは、各地の原発の使用済み燃料プールが満杯に近づき、六ケ所村に運び出すしかないからだろう。

 解決策は、原発の敷地内外で、使用済み燃料を金属製の容器に入れて空気で冷やす「乾式貯蔵」だ。六ケ所村へ搬出する以外の選択肢にもなる。原子力規制委員会の複数の委員も、プール貯蔵よりずっと安全だと指摘している。原発が立地する地域にとっても望ましいだろう。

 ―被爆地の役割をどう考えますか。
 プルトニウムがたまる政策を続けながら、核兵器廃絶を訴えても理解は得られない。核兵器のない世界を実現するために、日本はまず、再処理工場の計画をやめるべきだ。ヒロシマ、ナガサキから計画中止を求める声が高まれば、大きな力になる。

たくぼ・まさふみ
 51年、愛媛県今治市生まれ。原水禁国民会議の国際担当、法政大講師(平和学)を経てウェブサイト「核情報」主宰。原子力・核政策アナリスト。「核分裂性物質に関する国際パネル(IPFM)」のメンバーでもある。

「厳格査察」不安拭えず

■青森県六ケ所村 政策が止まれば廃棄物

 「原子力発電、核燃料サイクルの推進が日本を支える重要な施策であり、確固たる国家戦略だと認識している」。青森県の三村申吾知事は3月の県議会定例会で質問に答え、言い切った。電力業界の要請を受けて30年前、当時の知事が六ケ所村でのサイクル施設受け入れを表明してから、県は国策協力の立場を貫いてきた。

完成延期20回余り

 下北半島の太平洋岸に広がる六ケ所村。鉄条網で囲まれた約740ヘクタールの広大な敷地にサイクル関連施設が点在する。使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場は、20回余りも完成時期の延期を繰り返してきた。今は来年3月の稼働を予定する。だが、再処理で取り出したプルトニウムを燃やすはずだった高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)は1995年のナトリウム漏れ事故後、一度も動いていない。

 再処理工場の能力は年800トンで、原爆千発分以上に当たる約8トンのプルトニウムを取り出せる。施設内には既に、国際原子力機関(IAEA)の査察官数人が24時間体制で常駐。過去の試験で抽出したプルトニウムの貯蔵量を監視する。サイクル事業を担う日本原燃の広報担当者は「内部に分析所も備え、世界に例がない厳格な査察がされている」と説明した。

 サイクルが動かない一方で、六ケ所村には全国から搬入される使用済み燃料や放射性廃棄物だけが増え続ける。仮にサイクル政策が止まればその瞬間、使用済み燃料も資源から「廃棄物」に変わる。その場合、青森県と六ケ所村は「使用済み燃料は各原発に戻す」と宣言し、けん制する。

 核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団代表の浅石紘爾(こうじ)弁護士(74)には「国と自治体は共謀関係」と映る。安倍政権が昨春決定したエネルギー基本計画は、大きな議論もないまま核燃料サイクル「推進」を盛り込んだ。政策そのものの是非を問う場は限られる。「私たちは司法の場で、地道に矛盾を問い続ける」と覚悟を決める。

進まない世代交代

 ただ、30年にも及ぶ活動で反対運動の担い手は高齢化。世代交代は進んでいるとはいえない。

 「核燃反対の火を消さない。それが役目だ」。原告団の一人、六ケ所村の種市信雄さん(80)は浜で採った昆布を干しながらつぶやいた。表立って核燃反対を訴える村民はもうわずか。けれど村長選では常に反対派候補を立てて争ってきた。「核燃で作られた物質が、いつか戦争に使われるんじゃないか」。村に反対の声が消えた時を思い、心配が頭をよぎる。

 原告団の一人、原子力資料情報室(東京)の沢井正子さん(61)は、炉心全てにプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使う大間原発の計画を挙げて「下北半島が『プルトニウム集中センター』になりかねない」と警告する。

 これまで脱原発運動の中でさえ、再処理やプルトニウムの問題は「よく分からない」という反応が目立っていた。「人々が身近な原発の再稼働に関心を持つように、広い層を巻き込んでもう一度、プルトニウムの問題を世に問わなければ」と身を引き締める。

「被爆地の運動 問われている」 再処理問題 高まらぬ関心

 被爆地はどうプルトニウムと向き合ってきたか。核兵器廃絶と再処理反対の運動が、大きく合流してきたとは言いにくい。

 プルトニウム利用に反対するNGOグリーン・アクション(京都市)代表のアイリーン・美緒子・スミスさん(64)は、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれた2005年のニューヨークの記憶が鮮明に残っている。

 「ノーモア・プルトニウム」「ストップ六ケ所」の横断幕を掲げてデモに参加した。海外の活動家は次々と近寄ってプラカードを持ってくれた一方で、核兵器廃絶を訴えていた日本人の反応はほとんどなかった。「日本がプルトニウムを生み出すことに、被爆地こそ怒るべきではないか」。今も違和感は消えない。

 「人類と核は共存できない」―。原水禁国民会議(原水禁)議長を務めた故森滝市郎さんは1989年、青森県六ケ所村で開かれた1万人集会で参加者に呼び掛け、核燃料サイクル施設を囲む人間の鎖の先頭に立った。原水禁は72年に「最大の環境破壊・放射能公害を起こす原発、再処理工場設置に反対しよう」とスローガンに掲げている。

 だが、「頭では理解しても、被爆地発の運動にはつなげられなかった」と広島県原水禁常任理事の横原由紀夫さん(74)は振り返る。

 被爆者や核実験、原発事故の被害者たちが集って87年、ニューヨークで開いた核被害者世界大会。横原さんは欧米の参加者に詰め寄られた。「日本は準核保有国だ」「英国やフランスに使用済み燃料と汚染を押しつけている」―。衝撃を受けて再処理問題を学び、個人として核燃サイクル阻止訴訟の原告団に加わったが、「当時、原水禁内部でさえ核兵器問題と結び付けることを嫌う人が多かった」。

 ことしは被爆70年。予定通りならば来春、六ケ所村の再処理工場は稼働を始める。「世界の動向に逆らって、私たちはプルトニウム社会を受け入れるのか。自らの記憶を伝えるだけではない、被爆地の運動が問われている」

■日本の核燃料サイクル政策に関連する主な動き(一部海外も含む)

1953年12月 アイゼンハワー米大統領が国連で「平和のための原子力(ア
         トムズ・フォー・ピース)」を提唱
  55年11月 日本への濃縮ウラン供与を柱とする初の原子力研究協定に日
         米が署名
  66年 7月 日本初の商業用原発の東海原発が営業運転開始
  70年 2月 日本が核拡散防止条約(NPT)に署名
  71年 6月 茨城県東海村で再処理施設が着工
  74年 5月 インドが初の核実験
  77年 4月 米国が自国内での商業用再処理の無期延期など核不拡散政策
         の強化を発表
  81年 1月 東海村の再処理施設が本格運転開始
  84年11月 フランスからの返還プルトニウム280キロを積んだ晴新丸
         が日本に帰港
  85年 4月 青森県知事が六ケ所村への核燃料サイクル施設の受け入れを
         表明
  86年 4月 チェルノブイリ原発事故
  87年11月 日米が現行の原子力協定に署名(翌年7月発効)
  93年 1月 あかつき丸がフランスからプルトニウム約1・7トンを積ん
         で帰港
  94年 1月 英国で再処理工場THORPが運転開始
  95年12月 高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れ事故
  97年 2月 政府がプルサーマル推進計画を閣議で了解
  98年 2月 フランス政府が高速増殖炉スーパーフェニックスの廃炉を正
         式決定
2006年 3月 六ケ所村の再処理工場でプルトニウムを抽出するアクティブ
         試験を開始
  09年12月 九州電力玄海原発3号機が初のプルサーマル本格導入
  14年 3月 オランダで開かれた核安全保障サミットで、核物質の保有量
         を最少化することなどを促すコミュニケを採択。日本はプル
         トニウム約300キロを米国に返還すると発表
  16年 3月 六ケ所村の再処理工場が運転を始める(予定)

日本、使い道なき大量保有

 「軍事用でなくても、プルトニウムは核兵器に使える。本当に『核兵器なき世界』を達成するなら、材料も造らせないべきだ」

 昨秋、米国ワシントンであった発表会。18カ国の専門家らでつくる「核分裂性物質に関する国際パネル(IPFM)」の共同議長を務める米プリンストン大の物理学者、ジア・ミアン氏(53)がグラフを指さした。

 世界の民生用のプルトニウムの量が増え続けていることが見て取れた。ミアン氏の批判の先には、使い道のないプルトニウムを大量に抱える日本の存在がある。

 核兵器を持たない国の中で、使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理を認められているのは日本だけだ。根拠となる日米原子力協定の期限は、2018年に迫る。核燃料サイクルが宙に浮いたままの日本は、外圧によって「撤退」を迫られる可能性もある。

 「青森県と『国策の変更もあり得る』と真摯(しんし)に話し合うべきだ」。2月下旬にあった自民党の部会で、河野太郎衆院議員が国の担当者に求めた。「サイクルは破綻しているのに止まらない。政治が誤りを謝罪し、仕切り直すしかない」との持論からだ。

 河野氏は、巨額の負担を嫌う電力会社の幹部から「六ケ所は当分動きません。安心を」と言われたことがある。「再処理をやめてほしい」。福島第1原発の事故後、元米国務副長官のリチャード・アーミテージ氏にはこう言われた。

 米国は、日本を例に再処理の権利を求める韓国や南アフリカなどの存在を懸念しているとみる。「日本は再処理から撤退し、他国にもやるべきでないと主張すべきだ」と河野氏。被爆国が核拡散への道を開きかねない現状を憂える。

 日本に対する疑念も国際社会には根強い。米国は、核兵器で同盟国日本を「核の傘」で守ると約束している。それは、「さもなくば中国や北朝鮮に対抗して独自の核保有を目指しかねない」という見方の裏返しだ。実際には、核拡散防止条約(NPT)を脱退しない限り非現実的ではある。それでも、大量のプルトニウムと政治家の度重なる「核武装」発言が被爆国の評価に影を落としていることは否めない。

 日本はいかに、自らが持つ余剰プルトニウムをコントロールするのか。それが厳しく問われる今も、核燃料サイクルを担うのは電力会社が出資する民間企業だ。国が責任を一手に負うべきだとの指摘は、推進派にも強い。

 「サイクルは国営化すべきだ」。再処理に関する国際会合の日本代表などを歴任し、「ミスタープルトニウム」と呼ばれた菊池三郎・原子力バックエンド推進センター理事長は言う。

 1984年、フランスからの返還プルトニウムを海路で日本へ運ぶ極秘プロジェクトを指揮した。米軍の指示は「襲われたら船を沈めろ」。最終判断を任された菊池氏は「原爆を運んでいるようだ」と責任の重さを痛感した。

 既成事実に引きずられ、核燃料サイクルにいっそう深入りしようとしている日本。国としての責任や主体性があいまいなままでは、核不拡散でも核テロ阻止でも、被爆国の主張は力を持ち得ない。

プルトニウム
 自然界にはほとんど存在しない元素で、代表的なプルトニウム239の半減期は2万4千年。原子炉でウラン燃料を燃やすと、核分裂しないウラン238が中性子を吸収して生成される。使用済み燃料の再処理によって抽出でき、核兵器の原料や高速増殖炉の燃料となる。国際原子力機関(IAEA)は、核兵器製造が可能なプルトニウムの量を8キロとしているが、それ以下でも可能とみる専門家も少なくない。

核燃料サイクル
 原発の使用済み燃料を再処理し、取り出したウランとプルトニウムを混合酸化物(MOX)燃料にして再利用する仕組み。中核となる高速増殖炉は、消費した燃料以上のプルトニウムを生成するため「夢の原子炉」ともいわれる。だが、その原型炉もんじゅはトラブルが続き、原子力規制委員会は2013年5月、事実上の運転禁止命令を出した。MOX燃料を通常の原発で使うプルサーマルも経済性、安全性の問題が指摘されている。

日米原子力協定
 日本は1955年に米国と結んだ原子力研究協定で濃縮ウランの供与を受け、原子力開発を本格化。68年の新たな協定で商業用原発の導入を進めた。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、利用する核燃料サイクル政策の実施には協定上、米国の同意が不可欠だ。米国は74年のインドの核実験を受けて核拡散防止政策を強化したが、88年発効の現行の日米協定に基づき、日本の商業用再処理に同意してきた。次期の改定交渉は2018年が期限となる。

(2015年3月28日朝刊掲載)