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世界のヒバクシャ

1. 建設費上回る事故処理費

第1章: アメリカ
第2部: スリーマイル島事故―10年の軌跡

 1979年3月28日、米ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド原発で事故が起こって、10年が過ぎた。炉心溶融の確認に3年、溶融の割合が52パーセントにも達したことが判明するまでに10年かかった。事故以来、米国の新規原発計画はゼロ。それは「安全神話」の崩壊を示すと同時に、「原発は安い」という「経済神話」が揺らいでいることの証明でもある。

静まり返る冷却塔

 ニューヨークから西へ200キロ。州都ハリスバーグの川下に連なるペンシルベニアの農業地帯の真っただ中に、目指す発電所はあった。杯を伏せたような4基の冷却塔。あの事故当時、世界の目をくぎづけにした、象徴的な姿は当時のままである。

 島へ渡る手前のゲートで、カメラを取り上げられ、発電所構内へ入る。北側の2つの塔が、水蒸気を勢いよく噴き上げている。これは15年前に運転を始めた1号炉である。2号炉の事故で7年間ストップし、原子力規制委員会(NRC)の改善勧告をクリアして1986年、運転を再開した。

 その南隣の、ひっそりと静まり返った2基が、2号炉の冷却塔だ。周辺住民をパニックに陥れた原子炉は、冷却塔の横、円形の建屋の中にある。外から見る限り、事故などなかったかのように、明るい陽光を浴びて輝いている。

燃料棒撤去に4年

 頑丈な有刺鉄線の金網をくぐって2号炉敷地へ入った。荷物検査だけで、放射線測定用のフィルムバッジは渡されない。「これまで3万人がバッジを使ったけど、計測値はゼロ。それでやめた」と、案内役のGPUニュークリア社のダグラス・ベデル広報部長が言う。これは万が一、放射線を浴びたとしても、その証拠は残らないということでもある。

 まず2号炉統制室に入った。5台のテレビが炉心部を映し出していた。1979年3月28日未明、炉の空だきを起こした、その現場である。放射線防護服を着た5人の作業員が、炉心の真上に立って、核燃料の撤去作業をしていた。強烈な放射能をもつ燃料棒の撤去は、延々、4年も続いている。

 炉内から取り出すのは、燃料部分100トン、部品など50トンの計150トンである。「1989年秋中には撤去を完了し、1990年春までに炉心の除染も終わる」とベデル部長は説明する。

汚水の処理が難題

 だが、もう1つ敷地内にたまった8,700キロリットルもの汚水処理をどうするかという難題が残っている。計画では、敷地内で加熱、濃縮して、固形物を処分することになっている。「この作業で1,020キュリーのトリチウムが出る。茶さじ1杯分で環境への影響は問題ない」と言ってベデル部長は安全PRにこれ努めたが、この処理法をめぐって環境保護団体から強硬な抗議を受けている。

 事故処理が進む一方で、事故の全容をつかむ調査も依然として続いている。「なかった」はずの炉心溶融が3年後に初めて分かり、溶融の割合は20パーセント→35パーセント→45%と調査のたびに増え、1989年5月には52パーセントに書き換えられた。しかも最悪事態の寸前だったことを示す圧力容器の「亀裂」が見つかったのは1989年8月のことだ。

 2号炉の建設費は7億ドル(980億円)。一方、事故後の除染費用は10億ドル(1,400億円)である。株の値下がりなどを加えた損失は累計40億ドル(5,600億円)にもなる。これは原発がいったん事故を起こすといかに高くつくかの証明でもある。巨大な冷却塔を見上げて「創世記」の「バベルの塔」神話を思い起こした。