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世界のヒバクシャ

3. ダウン症児に補償金

第1章: アメリカ
第2部: スリーマイル島事故―10年の軌跡

9カ月後に生まれる

 ブラッドレー・ベーカー君(9つ)は、スリーマイルアイルランド原発事故を知らない。「ダウン症」の十字架を背負って、あの事故から9カ月後に生まれた。

 知恵遅れだが、「空手キッド」の映画が大好きで、絵本も読む。原発から11キロ離れた団地の一室で、いつも付き添っている母親のデビーさん(33)が「あの事故さえなかったら、この子だって…」と涙ぐみながら、誕生以後の苦悩を語ってくれた。

 ブラッドレー君は、配電工をしている夫(33)との間に生まれた2番目の子供だった。「上の子は2つ違いの女の子なので、ブラッドレーが生まれた時、主人は『一緒にフットボールができる』と大喜びだったのよ」

 だが、それもつかの間の喜びだった。夫妻は息子がダウン症と分かってドン底に突き落とされた。崩れそうな気分を持ちこたえ、デビーさんはブラッドレー君の病気を調べてみた。図書館で開いた医学書に「放射線は障害児、奇形児の原因になる」とあった。「それまで考えもしなかったのよ。息子の病気とあの原発事故が関係あるかもしれないなんて…」

 事故当時、州政府の職員だったデビーさんはブラッドレー君を身ごもっていた。事故発生から3日後、原発から5マイル(8キロ)以内の妊婦と子供に避難勧告が出ると、すぐ知人に預けていた長女を迎えに行った。そして約50キロ北の友人宅まで、一家はフルスピードで車を走らせた。

憎しみ募り訴訟へ

 「ハリスバーグはパニック状態だったわ。避難先の友人に聞くと2日目にはテレビで事故を知ってたらしいの。何も知らない地元住民は勧告が出るまで、3日間も危険にさらされていたのよ。おなかの中のブラッドレーも」

 デビーさんは息子の誕生後、そばに寄り添って世話を続けてきた。その間、電力会社への憎しみが消えることはなかった。弁護士と相談してハリスバーグ地裁に「息子の障害は原発事故による放射線被曝が原因」と、損害賠償を求める訴えを起こした。

 彼女が、判決でなく示談で息子への補償金を手にしたのは1985年だった。彼女は口にしなかったが、会社側が支払った額は109万ドル余(約1億5千万円)といわれる。

 ところが、この補償金の性格について、双方の言い分は今なお大きく隔たっている。事故炉を引き継いだGPUニュークリア社は「保険会社が『事故で精神的苦痛を与えた』と判断しただけのことで、補償金を支払ったのは保険会社の判断。わが社が事故と障害の因果関係を認めたわけではない」との見解を示した。

 だが、デビーさんは「会社が自らの非を認めないで、こんなに多額の補償金を払うはずはない。ブラッドレーに対する責任を認めた結果だ」と受け止めている。

2千件まだ係争中

 GPUニュークリア社によると、これまでに示談が成立した訴訟は、デビーさん一家を含めて約3百件で、示談金は総額1,430万ドル(約20億円)にのぼる。このほか、この原発事故に関して約2千件が係争中であり、すべての裁判が終わるには、まだまだ長い年月がかかる。

 一足先に示談で決着したデビーさんが言った。「補償問題は確かに解決したわ。でもブラッドレーの体は決して元に戻らない。これから、彼と一緒に歩き続ける。それが私の人生だと自分に言い聞かせているの」

 カメラを向けたら、母のひざの上でブラッドレー君が明るく笑った。