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世界のヒバクシャ

7. 広島・長崎に学び追跡調査

第2章: ソ連
第2部: チェルノブイリ事故から3年 広がる後遺症

60万人登録し追跡

 チェルノブイリ原発や周辺の放射能汚染地域を取材しながら、私たちは被害の全体像をつかみ切れないもどかしさを抱き続けた。チェルノブイリの事故に関する情報は、年とともに被害が拡大していることを示しており、いっこうに沈静化する気配がない。全体像が見えてこないのは、ソ連政府すら、それをつかみかねているからではないか、とさえ思えてくる。

 被曝者対策に苦慮するソ連医学者の目は、今、広島・長崎に注がれている。事故直後に不眠不休で被曝者治療を指揮したモスクワ第6病院臨床部長のグシコワ女史と会って、それを強く感じた。

 グシコワ女史は『急性放射線障害』の著書もあるソ連放射線医学界のリーダーである。その彼女が、会見の最中に「広島で勉強したいのだが、受け入れてもらえるだろうか」と問いかけてきた。国内では被曝者医療の第一人者と評される彼女にして、ヒロシマはやはり原点なのだろう。

 事故から6カ月後の1986年10月、キエフに開設された全ソ連放射線医学研究センターは、チェルノブイリ被曝者を長期にわたって観察する国家機関である。その機構、調査研究の手法は、広島・長崎の被爆者調査を40年以上、日米共同で続けている放射線影響研究所(放影研)がモデルだ。

 例えば調査対象は、放影研が10万人の母集団を設定して寿命、死因、疾病動向、遺伝的影響を調べているのに対し、キエフの研究センターでは60万人としている。機構は、疫学、臨床、放射線生物学の3つの研究所からなり、この点でも放影研と似通っている。

世界唯一の「教科書」

 「レギストル」(登録者)と呼ばれる調査集団は▽急性障害者209人▽30キロ圏内からの避難者11万6千人▽30キロ圏外の汚染地域居住者23万人▽事故処理・除染従事者や原発職員16万人などが含まれ、被曝者の子供や事故の後、対象地域で生まれた子供(1989年3月現在3,200人)も登録されている。

 広島・長崎の被爆者集団の追跡調査から得られたデータは、世界で唯一の「教科書」と言ってよい。今、国際的に使われている放射線防護基準も、放射線に起因する疾病のデータも、その大半が広島・長崎の被爆者調査が基礎になっている。

 史上最悪の原発事故を起こしたソ連にとって、広島・長崎の広範な情報はもちろん、学術的な研究のノウハウが大きな意味を持つことは間違いない。重松逸造放影研理事長、蔵本淳広島大原爆放射能医学研究所長が1988末、ソ連から招待を受けたのも、ピャタク副総裁が翌89年3月に広島を訪れたのも、情報交流を求めるソ連の意思の表れである。

 研究センターを訪れた時、ピャタク副総裁は、過去2年半の調査結果について「白血病やがんは1例も見つかっていないし、15歳以下の子供への影響も今のところない」と言った。しかしすぐ「問題はこれからだ」と付け加えた。

 彼が慎重になるのも無理はない。広島・長崎のデータは、白血病が3年後、甲状腺や肺のがんが5年後から増えることを示している。チェルノブイリ事故に当てはめれば、放射線後障害はまさにこれからが問題なのだ。

 チェルノブイリの場合、広島・長崎の6倍という大規模な調査集団である。しかも、広島・長崎と違って爆風や熱線の影響がない純粋な放射線被曝者の集団ともいえる。ヒロシマに学びながら続く全ソ連放射線医学研究センターの調査データは、今後、ヒロシマと同じ傾向を示すのか示さないのか、ソ連医学者の目はヒロシマに、そして世界の医学者の目はチェルノブイリに注がれている。