×

世界のヒバクシャ

7. 島の悲劇 世界にアピール

第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア

仏では知らされず

 ごまかしと秘密に覆われたフランスの核実験を、世界に向かって告発し続ける学者夫妻がいる。タヒチ在住の人類学者、ベングト・ダニエルソンさん(68)、マリー・テレーズさん(66)夫妻である。オーストラリアを講演旅行中と聞いて、帰国の途中、シドニーに立ち寄り、ニュー・サウスウェールズ大学で会った。小さな教室に集まった10人余りの学生や市民に、穏やかな口調で語りかけていた。

 演題は「太平洋最後の植民地」。仏領ポリネシアの歴史やフランスの核実験に伴う環境破壊などをめぐって2時間、夫妻は話した。質疑のあと1人の女子学生が手を挙げた。フランスから留学している、と自己紹介した彼女は「自分の国が太平洋の島で、そんなひどいことをしていることを、いま初めて知った。恥ずかしい」と、目に涙を浮かべてわびた。

 「知らないのは彼女だけじゃない。フランスでは何も知らされていない。機会があれば、こうして1人でも多くの人にポリネシアの実情を伝える。これが僕たちの仕事だ」。ベングトさんは、世論に訴えることでフランスの核実験をやめさせようと考え、世界各地に出掛ける。

 スウェーデン出身の彼は、ポリネシア人の渡来ルートを探るため、1947年にペルーからポリネシアまで、いかだ「コンチキ号」で8,300キロを航海した乗組員の1人である。1949年以来、フランス人の妻マリー・テレーズさんとパペーテに住む。

伝統も文化も破壊

 人類学のフィールドワークを続ける一方で、「核実験ウオッチャー」としてフランスを告発し続けている。もともと文字文化を持たず、記録することが不得意なポリネシア人に代わって、夫妻は「楽園」の悲劇を世界にアピールするのに大きな役割を果たす。

 「核実験は、ポリネシアの伝統、文化、健康を破壊してしまう。それが耐えられない」。これがポリネシアを「恋人」と呼ぶ夫妻の行動原点だ。

 2人には忘れられない思い出がある。大気圏核実験を中止に追い込んだ1972~74年の、あの世論の高まりだ。オセアニア諸国による国際司法裁判所への提訴、ムルロア海域への抗議船派遣、南米、東南アジアへ広がったフランス商品ボイコット…。

 「あの盛り上がりがあれば、地下核実験だって止められるはずよ」とマリー・テレーズさんが言うと、「あの熱気をもう一度よみがえらせたいなあ」と、ベングトさんがあごひげをなでた。

 夫妻は遠い夢を追っているのではない。フランスは、地下核実験で亀裂が見つかったムルロア、ファンガタウファに代わる新しい実験場探しを始めている。放射能漏れを警告した「クストー報告」以来、原子力庁があちこちの島を歩き回っている。事態は切迫しているのだ。

 候補地の1つはマルキーズ諸島である。ここはムルロアの北1,500キロ、タヒチの北東1,500キロにあり、約7千人が住む。マルキーズを第3の「死の島」にしてはならない。そんな思いから、夫妻はオセアニア、西欧、南米諸国で国際世論づくりに奔走する。

 「フランスが第3の実験場を決める前に、核実験停止に追い込みたい。新たな核の犠牲者を出さないためにも」。ベングトさんは、そう言って口元を引き締めた。