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世界のヒバクシャ

4. 今も続く小規模実験の汚染

第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第4部: 英核実験の忘れ物

4年後に皮膚がん

 オーストラリアの被曝者を訪ね歩くうち、「マイナー・トライアル」という聞き慣れない言葉を、何度か耳にした。きのこ雲に象徴される原爆や水爆の大がかりな実験とは違って、放射性物質を火薬で吹き飛ばす小規模な実験が、マイナー・トライアルと呼ばれる。

 核兵器の貯蔵所、輸送途上の事故に備えて、放射線の防護、汚染除去のノウハウを獲得しておこう、というのがマイナー・トライアルの目的である。使った放射性物質はウラン、プルトニウム、べリリウム、アメリシウムで、大気圏での核実験が1958年に中止されたのに対し、マイナー・トライアルは1963年まで続き、その回数は580回に及んだ。

 「高さ30メートルの鉄塔の上でいろんな放射性物質を爆発させた。私たちは翌日、現場に行って飛び散った鉄材を集めて埋め、新しい塔を建てた。防護服を着るよう指示されたけど、40度の暑さじゃとても着ていられなかった。それが危険な作業だなんて、だれも教えてくれなかった」

 1961年から2年間、マラリンガ核実験場で、マイナー・トライアルに従事したエイボン・ハドソンさん(51)は、腹立たしそうに言った。アデレード市郊外で骨とう品店を経営し、被曝退役軍人協会の南オーストラリア支部長を務める。

 「4年後に両足のくるぶしのあたりが、皮膚がんになった。きっと土ぼこりの中の放射性物質にやられたんだ」。そう言って彼が靴下を脱ぐと、黒いしみがくっきりと残っていた。

 たとえ「マイナー」であってもその実験が土壌などを汚染したことには変わりはない。マラリンガでは火薬で吹き飛んだプルトニウムが、半径20キロの範囲に拡散、その量は20キログラム前後と推定されている。国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に従って計算すると、一般人の年間吸入限度量の1,300億倍という驚くべき数値になる。

被曝警戒 巡視続く

 英国は1967年、実験で汚染された土を地中に埋めるクリーンアップ作戦を実施した。ところが、オーストラリア国立放射線研究所の1980年調査で、汚染除去が不十分だったことが判明した。

 現地を訪れてみると実験場への道路はフェンスで遮断され、政府の職員2人が毎日、朝夕2回、実験場をパトロールしていた。マラリンガの汚染地帯の50キロ四方は今なお立ち入り禁止が続いている。

 同じ小規模実験はエミュー核実験場でも頻繁に行われ、土壌の放射能汚染は今も残っている。実験場周辺の土地は1984年末、先住民アボリジニーに返還された。アボリジニーには「実験場に近づかないように」と指示してあるというが、彼らに「放射能汚染」の意味が理解されているかどうかは大きな疑問である。

 核実験場の土地は2カ所とも、いずれアボリジニーに返還しなければならない。このため政府は、抜本的な汚染除去の方法を検討している。しかし「費用がかかり過ぎる場合、汚染除去をしない可能性もある」(第1次産業・エネルギー省)と及び腰をみせている。アボリジニー復権運動の活動家らは「政府は除染をやる気はない」と危機感を募らせる。

 徹底的に汚染され、中途半端な浄化しか行われていない2つの核実験場。仮にアボリジニーに返還されたとしても、1日2回のパトロールは、いつ終わるとも知れず続けられるはずだ。