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世界のヒバクシャ

5. 勝訴喜べぬ被曝退役軍人

第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第4部: 英核実験の忘れ物

放射線起因認めず

 政府は核実験に参加した元兵士に損害賠償せよ―。1988年12月、オーストラリアのニューサウスウェールズ州最高裁は、被曝退役軍人協会の会長、リチャード・ジョンストンさん(56)が起こしていた裁判で、こう命じる判決を下した。賠償額は86万7千ドル(9,450万円)だった。

 オーストラリアの被曝元兵士に初めて認められた賠償である。だが、シドニー郊外のジョンストンさんを訪ねると、「喜んでもいられないよ」とさえない表情を見せた。

 喜べない理由の1つは、判決でジョンストンさんの皮膚がんや高血圧などの病気と、核実験との因果関係が認められなかったことである。賠償認定は、ジョンストンさんが核実験被曝に不安を抱いていた時、政府が適切な対応を怠ったために、精神分裂症になったことを根拠にしている。

1年間に4回従事

 ジョンストンさんが核実験に従事したのはマリランガだった。1956年に1年間駐留し、4回の実験に立ち会った。放射線防護服を着て実験場に入り、爆発効果を調べるために置いた戦車や各種車両を実験基地に運んで修理したり、実験動物のヤギ、ウサギ、ハトの檻(おり)を持ち帰ったりした。

 「砂漠の暑さは過酷だ。戦車の修理のとき、まず防毒マスクを外し、次に防護服の胸をはだけ、最後は手袋も脱いで素手で仕事をしたよ。爆発の瞬間は8キロ離れていたけど、半そでシャツから露出した両腕に死の灰が降ってきて、皮膚がヒリヒリしたこともあった」

 彼は、この直後に吐き気と下痢に襲われる。自分では放射線被曝による急性症状だと思ったが、陸軍病院の医師は「精神の不安定が原因」と片付けてしまった。そして間もなく除隊処分になった。

 除隊後も、核実験による被曝の不安を医師に訴えた。だが、医師はとり合ってはくれない。政府に補償を求めると「うそを言っている」と一蹴され、不安が高じてやがて精神分裂症と診断された。

 回復のきっかけをつかんだのは1972年、当時の主治医が核実験をテーマにしたテレビ番組を見て、ジョンストンさんの不安の意味を理解してくれた。「それでやっと適切な治療が受けられた。それにしても政府のやり方はひどかったよ」。彼はそれ以上、語りたがらなかった。しかし、訴訟の発端が政府への憤りだったことだけは間違いない。

 訴訟に勝っても素直に喜べないもう1つの理由がある。それは勝訴に伴う弁護士費用63万ドル(6,870万円)を支払い、すでに受給済みの医療保障26万ドル(2,830万円)を政府に返納すると、結局赤字になるという厳しい現実である。

 「形や金額はどうあれ、裁判で政府に勝ったという事実は消えない。それだけでもよしとしなければ…」。ジョンストンさんは、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。

 英国の核実験に参加したオーストラリア兵は1万5千人にのぼる。ジョンストンさんら700人は、1980年に被曝退役軍人協会を結成して、政府に補償を要求してきた。しかし政府は「実験による急性症状の記録はなく、影響は認められない」と、拒否の態度を変えていない。

 ジョンストンさんの苦い勝利の後も、被曝元兵士50人の訴訟は継続中である。「老兵」たちの闘いは、これから正念場を迎える。