×

世界のヒバクシャ

5. ウラン鉱山の村

第4章: インド・マレーシア・韓国
第1部: 核と貧困―インド原子力開発の影

労働者、次々病気に

 ベンガル湾を北上し、カルカッタへ着いた。そこから鉄鋼の町、ビハール州ジャムシェドプールまで列車で5時間、さらにその町から車で2時間走ると、曲がりくねった山道の向こうにウラン鉱山のあるジャズグダ村が見えた。

 「ここで降りよう。ほら、あそこがウラン鉱滓(こうさい)貯蔵用の池だ」。ジャムシェドプールの地方紙記者で、市民環境意識向上協会会長のジャナク・パンディさん(36)が言った。監視の目を避けるため、カメラをバッグに納めた。50メートルほど急な坂を上ると、貯蔵池が広がる。鉱滓は乾いてヒビ割れ、不気味な静寂が支配していた。

 ウラン鉱石を精錬し、酸化ウラン(イエローケーキ)を取り出した後の鉱滓が、太いパイプでここまで送られてくる。池から1キロ足らずの所に要塞(ようさい)のような精錬工場が見えた。眼下に小さな集落が望める。「あれが放射能に侵された村だよ」と彼は言った。

 ダングリディ村は、戸数25、125人が住む小さな集落である。土で造った粗末な家々が建っている。軒をくぐり中庭に入ると、やせ細った青年が、庭先で日差しを浴びながら食事をしていた。ウラン鉱山の労働者モハン・マジーさん(21)である。充血した目とけだるそうな動作が、健康を損ねていることを物語っていた。

 「鉱山に行き始めて1カ月目ごろから高熱が出るようになって…。我慢して働いたけど、2カ月でどうにもならなくなった」。彼は弱々しい声で、自らの病状を説明した。

命と引き換えに

 「産業医が『君の血は毒されてる』って言うんだ。ぼくには何のことか分からないよ」。ここまで言って激しくせき込んだ。脱力感に加え、最近は視力も徐々に衰えているという。「もうこの体じゃどうしようもない。家でじっとしてるだけだよ」とこぼす彼には、診断書すらなかった。働けなくなると同時に給料もストップしたので、薬を買うお金もない。

 鉱山での夜勤を終えたばかりというシャム・マジーさん(24)が「モハンは2年前に父親を亡くした。舌がんでね」と友人をいたわるように言った。彼はこのあたりの若者のリーダー格である。「そうなんだ」と、モハンさんが言葉を継ぐ。「おやじは15年間鉱山で働いたあげく、急にがんになってしまって…。まだ45歳だったよ」

 母親のサルクさん(年齢不詳)が「鉱山で働く前は、息子も元気だったのよ。あそこで働くとみんな、体がおかしくなってしまってねえ」とせき込む息子の背中をさすりながら言った。彼女にはまだ小さな子供が3人いる。夫の死後は長男が唯一の頼りだったのに、もう息子にもすがれない。わずかな農地からとれる作物が辛うじて一家の生活を支えている。

 「20年以上鉱山で働いたぼくのおやじも熱を出して苦しんでるよ。ずっと寝たきりでねえ。2週間前にも、村の鉱山労働者ががんで死んだ。隣の村にもいるよ」とシャムさんが言った。

 シャムさん自身、鉱山で働き始めて6年になる。最近、胸が締め付けられる感じがして不安だという。「この前6年ぶりに健康診断を受けたよ。でも、結果は何1つ教えてくれなかった」と憤る。

 村の男たちは生活のため命と引き換えにウラン鉱山で働く。だが、影響を受けているのは鉱山労働者だけではない。ダングリディ村を歩いてみて、私たちは鉱山の周辺でも汚染被害が広がっていることを知った。

貯蔵地の鉱滓、水と空気汚す

 シモティ・マジーちゃん(8つ)は、牛のそばにぽつんと立っていた。破れた緑色のワンピースを着て、頭に小さなタオルを巻いている。近づくと恥ずかしそうにうつむいた。

 「生まれて3年目に周期的に高い熱に襲われてね。右手の感覚を失い始めたのはすぐその後だったわ」。額に深いしわを刻んだ母親のバソさん(年齢不詳)が言った。今では物もつかめないし、腕を上げることもできないという。

 シモティちゃんの肩の骨は山の稜線(りょうせん)のように突き出ている。頭にタオルを巻いているのは普通より小さいからである。斜めに向いた視線で恥ずかしそうなそぶりを見せるだけで、言葉はしゃべれない。

 「この子には父親の死さえ分からなかったのよ」。バソさんはそう言ってため息をついた。彼女の夫チャンドライさんは3年前、45歳で亡くなった。結核だと医者は言っていたが、寝たきりで3年も苦しんで、やせ細って息を引きとった。夫は寝込む前まで18年間、ウラン鉱山で働いていた。

 シモティちゃんの家の近所に住むジョワ・ソレンちゃんは生後8カ月だが、父親のモハンさん(30)に抱かれて外に出てきた彼女の両足は、極端に細かった。

 「生まれて2カ月ほどたって急に足の感覚がなくなってしまってね」。農業を営む父親は娘の障害をとつとつと説明した。「医者はポリオ(小児麻痺)だって言うんだ。でも、娘は生まれてすぐにちゃんとポリオの予防接種を受けたんだよ」。そばで、妻のチタさん(25)がうなずいた。

 「空気と水が毒されているんだ」とダングリディ村の青年リーダ、シャム・マジーさんが言った。

 夏の熱い風が吹き始めると、ウラン鉱滓の貯蔵池から、灰のようなものが飛んでくる。カラカラに乾いた鉱滓の粉だ。「これが始まると、どこもほこりだらけさ。家の中の食べ物も、畑の作物もね。そしてみんなせき込んで苦しむんだ」。マジーさんはこう言って、いまいましそうに貯蔵池を見上げた。

小さな看板で「警告」

 貯蔵池に向かって直径1メートル余りの太いパイプが延びる。パイプのそばの蛇口で村の女性が洗濯物や食器を洗っていた。原子力庁直轄のインドウラニウム公社から供給される飲料水用の唯一の蛇口だ。川の水は貯蔵池で汚されて使えなくなった。会社はそれを知って最近、水道を引いたのだという。

 村を取材中、「ここで何をしているんだ」と呼び止められたことがある。「放射能汚染被害を調べている」と正直に言うと、鉱山の化学部門担当の技術管理者でラルと名乗るその男は「汚染被害なんてここにはないよ」と自信たっぷりに言った。

 「貯蔵池は本当に安全なの?」

 「もちろんだ。鉱滓は捨てる前に化学処理している。安全だ」

 「でも、村で多くの病人が出ているのを知ってるでしょう?」

 「ああ、そのことか。連中は無知だからなあ。川の水を飲んだり、洗濯しちゃいけないと教えてもダメなんだ」

 彼は「安全だ」と言った自分の言葉を自身で否定したことに気づいたのか、そそくさと立ち去った。

 村はずれにペンキのはげかかった小さな看板が立っていた。かろうじて判読できる看板には「鉱滓貯蔵池―放射能地帯。不法侵入者は告発されます」とあった。