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世界のヒバクシャ

1. 放射性溶液浴び体に異変

第5章: 英国 • フランス
第2部: 閉ざされた核情報―フランス

 1989年、革命200年を祝ったフランスは、米ソ英と並ぶ核先進国であり、電力の約70パーセントを原子力で賄う世界一の原発大国である。だが、この国からは不思議と放射線被害の情報が伝わってこない。果たして被害はないのか。そんな疑問を抱いてフランスを訪ね、「核翼賛体制」のもと、核被害と闘い続けるフランスの人たちの素顔を追った。

圧縮液体噴き出す

 足の不自由なジェラー・ヌーリーさん(43)は、妻のアニキさん(39)と、パリの下町にあるホテルに私たちを訪ねてきた。つえを支えに足を引きずる姿が痛々しい。

 夫妻は、パリから230キロ、イギリス海峡に面した港町ルアーブル市に住む。電話で取材を申し込むと「ヒロシマから来たのなら、ぜひ聞いてほしい。ちょうどパリで用事があるから」と言って、遠路を車で駆けつけてくれた。彼が勤め先の工場で、放射性物質の炭素14を含んだ液体を大量に浴びたのは1970年6月のことだった。

 ホテルのロビーで一息いれると、ジェラーさんは事故の様子やその後の苦悩をとつとつと語り始めた。

 「朝の10時ごろだったよ。パイプが裂けて、圧縮された液体が噴き出したんだ。放射線防護服を着て作業をしていたオレに、上司が裂け目の手前のバルブを締めろと命令した。その時、防護服やマスクのすき間からいっぱい液体が入り込んで…」

 ルアーブル市のその工場は、原子力庁との契約で生化学の研究に使う「薬品のもと」を製造していたという。

ろっ骨次々折れる

 症状はその日の夕方にはもう現れた。両腕が大きく腫れ上がり、吐き気にも襲われ、翌朝、産業医を訪ねた。放射線被曝の不安を訴えると、医師は「関係ないよ」とだけ言った。ふに落ちないまま彼は、3日間だけ休んで仕事を続けた。

 2カ月後にアニキさんと結婚。やがて腕の腫れもひいて、元気を取り戻したかに見えたその年の暮れ、寝ている間に突然ろっ骨が2本折れた。9カ月間入院している間に、会社から一方的に解雇通告を言い渡されたが、補償は何もなかった。

 ろっ骨はその後4本折れ、7年前には左足が動かなくなって、ひざの手術を受けた。炭素14は骨にたまりやすいといわれる。夫妻はパリの病院にまで出かけて原因を突きとめようとしたが、徒労に終わった。会う医者がみな「放射線被曝とは関係ない」と言う。「検査もせずにだよ」と、彼は口惜しそうに唇をかんだ。

   1988年、孤立無援の夫妻は、さらに奈落の底に突き落とされるような目に遭った。「医者が病名を言わないのはエイズだからだ」といううわさが広まったのだ。「2人の子供は友達に口もきいてもらえなくなって…」。こみ上げる感情に声を詰まらせるジェラーさんの目に涙が光った。

 世間の冷たい仕打ちに、いたたまれなくなった彼は、ある日、ルアーブル市の繁華街に立って無言で訴えた。「私はエイズ患者ではありません。放射線による被害者です」。胸につけたゼッケンにこう書き込んだ。だが、精いっぱいの抗議も、むなしかった。

 「私たちが今頼れるのは4人の家族だけなんですよ」とアニキさんはか細い声で言った。最近、ジェラーさんは右足にも痛みを覚えるようになった。

 「病状を何とかこのままで食い止めたい。自分の病気と放射線被曝との関係をつかむためにもガイガーカウンターを買うんだ」

 パリで用事がある、というのはそのことだったのだ。夫妻の思い詰めた行動に、慰めの言葉を失った。