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世界のヒバクシャ

3. 低線量被曝に警告

第5章: 英国 • フランス
第2部: 閉ざされた核情報―フランス

X線使い4年実験

 ベラ・ベルベオックさん(61)は、微量の放射線による体調の異変を、身をもって経験した核物理学者である。私たちはパリ中心部にある彼女の自宅を訪ね、同じ核物理学者の夫ロジャーさん(61)を交えて、低線量被曝の影響について深夜まで語り合った。

 彼女はかつて原子力庁に勤め、放射線を吸収した物質の構造変化を解析する研究に従事していた。エックス線を使って、実際に実験にかかわったのは1956年から4年間である。

 「エックス線を使っていた間は、いつも疲労感があって、ずっと生理不順が続いたわ」。ベラさんはこう言いながら、確認を求めるように、時々、夫の顔をのぞき込む。「そうだったなあ。しょっちゅう、妊娠したのかと思って…」とロジャーさんが笑った。

 そんな状態が続くうち、ベラさんの手の指のつけ根にこぶができ、ひどい貧血に見舞われるようになった。検査の結果、白血球の減少が認められた。直感的に、エックス線の影響に違いないと思ったベラさんは、しばらく入院し、復職と同時に実験部門を離れ、データ解析部門へ移った。

 エックス線を扱わなくなると、体の変調は徐々に回復した。そんな体験を経たベラさんは、同じ環境で働きながら、放射線の影響に個人差があることを知った。「私と同じ研究をしていて、全く変調のない女性も結構いたわ。放射線って、本当に厄介なものね」。こう言うベラさんの言葉には実感がこもっていた。

60人が労災の認定

 第2次世界大戦が終わった年、国家機関として創設された原子力庁は、核兵器開発と核のエネルギー利用を目指す総合機関である。そこで働く職員が加入しているフランス民主主義労働同盟(CFDT)の調べでは、1946年から1985年までの間に、放射線被曝が原因とみられる病気で労働災害の認定を受けた職員が60人いる。

 「実を言うと、私も認定を受けたの。白血病の初期症状ということでね。あのころは研究者自身が、放射線の影響を軽く考えていたわ。1968年に若い研究員ががんで亡くなって…。それから慎重になったのよ」。ベラさんの話にうなずきながら、ロジャーさんは「研究施設でこんな状態だから、工場など推して知るべしさ」と付け加えた。

 ベラさんの「労災認定」をきっかけに、夫妻は低線量被曝に関心を持ち始める。ところが、フランス国内で、この問題を研究する学者がいない。労働組合もマスコミも、ロジャーさんによると「許し難いほど無関心」だった。夫妻は仕方なく、英米の専門医を訪ねて教えを受けた。

 ロジャーさんが、書棚から1つのデータを取り出した。国内のウラン鉱山労働者の死因について、政府が1988年にまとめたものだという。それは、肺がん死亡率が一般国民の2.7倍にのぼることを示していた。

 「この資料はね、外国の学会で発表されたのを『逆輸入』したんだ。奇妙なことに国内では手に入らない。すぐにマスコミと組合に連絡したよ。でもナシのつぶてさ。資料を見に来ようともしないんだから…。これがフランスの現実なんだよ」。ロジャーさんは、いらだたしそうにまくし立てた。

 この国では放射線障害も、単なる病気の1つにすぎないようだ。国民は放射線の影響など何1つ知らされていない。

 「放射線の人体への影響といえば、本来なら医学の領域でしょう。それを物理学の私たちが問題にし、警告するのは筋違いだと思うのよ。でも他に方法がないでしょう…」。ベラさんが口惜しそうに言った。