×

世界のヒバクシャ

2. 幼い犠牲 核物質と知らず

第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染

髪や顔につけて遊ぶ

 病院跡地から持ち出され、廃品回収業者が買い取って粉々に砕いたセシウム137は、キラキラ光る美しさのゆえに、さまざまな経路で汚染を広げていった。

 ゴイアス州政府が、事故の後、被曝者救援のために設立したのがレイデ財団である。その1室に飾られた女の子の写真が、訪れる人にほほえみかける。財団の名称にその名を残すレイデ・フェレイラちゃん(当時6歳)は、セシウム汚染の犠牲者である。

 「あの日は…」と言って母親のルルデスさん(38)は、壁の写真を見上げながら涙で言葉をつまらせた。1987年の9月24日夕刻、父親のイボさん(41)が、「弟が珍しいものをくれたよ」と言いながら帰宅した。それは小指の先くらいのほんの少しの青い粉だった。

 イボさんの弟とは、セシウム137の粉を最初に手にした廃品回収業者のデバイルさん(36)である。

 「明かりを消すとキラキラ光るんです。レイデは主人からそれをもらって、うれしそうに遊んでいました。部屋の隅の暗がりで髪や顔につけては鏡をのぞき込んでね。毒だと分かっていたらあんなことは…」。ルルデスさんの言葉がとぎれた。

 夜8時ごろ、家族5人は夕げの食卓についた。レイデちゃんは「光る粉」をもてあそんだその手で、パンと大好物のゆで卵を口にした。ゆで卵を半分くらい食べるとウトウトし始め、それから間もなく、食べたものをもどした。そして一晩中、泣いては吐き続けた。

 明け方に少し眠ったレイデちゃんは、翌日には朝食を済ませて遊びに出た。ルルデスさんもひと安心した。

「悪魔の玉手箱」

 その朝、ルルデスさんは妙な話を耳にした。近所に住むワグナー・フェレイラさんの両手が水膨れになって、骨が見えるというのである。ワグナーさんは病院跡からセシウム137入りの容器を持ち出し、解体した若者の1人だ。

 レイデちゃんの吐き気、ワグナーさんの皮膚障害など、セシウム137に触った人たちは放射線被曝特有の急性症状をみせ始めていた。自覚症状がある被曝者のうち何人かは病院を訪ねている。しかし、医師も首をひねる状態がしばらく続いた。自動車塗装工のエドソン・ファビアノさん(43)も「光る粉」に触って指先がただれた1人だったが、近くの開業医は診るなり「ハチに刺されたんだろう」と言った。

 「光る粉」の正体が分かったのは、がん病院跡地からセシウム137が持ち出されて半月後、レイデちゃんが吐いてから4日後の9月28日のことだった。自らの指先のただれ、近所の人に広がる吐き気、皮膚炎、脱毛…。エドソンさんはこれらの奇病に「テレビで見たチェルノブイリの魔物」の影をかぎとった。

 奇病の糸をたぐると「光る粉」にたどりつく。「すると汚染源は廃品回収業者デバイルさんの作業場に違いない」。奇病の患者を抱える家族らは「光る粉」が入っていたシリンダー状カプセルを州保健局へ運び込んで鑑定を求めた。エドソンさんの推測通り、それは強い放射線を放つ「悪魔の玉手箱」だった。

 レイデちゃんは、他の重症患者13人と一緒にリオデジャネイロの海軍病院へ運ばれた。しかし、10月23日、多発性出血で絶命した。

 「光る粉」の正体は突き止められても、セシウムの意味を知る市民は少なかった。その無知が混乱をさらに深めて行った。