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世界のヒバクシャ

4. 近所づきあい絶たれ孤立

第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染

財団の援助が頼り

 ゴイアニア市民のセシウムへのおののきは、4人の埋葬が済むと、今度は生き残った被曝者へ向けられた。自らも不安から逃れられず、市民からは門戸を閉ざされ、被曝者は次第に孤立していった。

 ゴイアニア市の中心部にひっそりと建つ鉄筋コンクリート2階の建物がゴイアス州政府が1988年2月に設立したレイデ・フェレイラ財団(ハリム・ジラド理事長)である。ここは被曝者の唯一のよりどころとなっている。「駆け込み寺」のような存在である。

 医師6人を含む20人のスタッフが、認定を受けた被曝者の検診、治療のほか食料の配給、住宅・就職のあっせんなどをしている。健康への不安はもちろん、食・住のあてもなく、近所付き合いすら絶たれた被曝者が、毎日通いつめる。

 黒い肌に赤いTシャツ、花柄模様のスカートをはいて財団のベンチに身を沈めていたマダレーナ・ゴンサルベスさん(52)は、「テレビに顔を映されたばかりにセシウムの関係者と知れ渡り、近所の人は怖がって声もかけてくれない」と、か細い声で言った。

 彼女は独身で、レイデちゃんの家に住み込みで働いていて「光る粉」に触った。手が放射性皮膚炎を起こして水膨れになってから、体調がすぐれない。「住んでいた部屋は、セシウムで危ないというので壊されました。財団の紹介で今のアパートへ移ったんですが、近所からのけものにされて…」とダレーナさん。財団の門が開く午前7時に来て、閉門の午後6時まで、何をするでもなく時間を過ごす。

 財団の玄関先で2歳になる娘をあやしていたのは、オーデソン・フェレイラさん(29)だ。彼女の夫はデバイルさんに「光る粉」をもらって、焼けただれた右手の指を切断した。あちこち働き口を探すが「セシウム関係者は駄目だ」と断られてしまうという。

すべてを失って…

 家も家財道具も、飼っていた6匹の豚までも、汚染拡大を防ぐため、ドラム缶詰めにされて持って行かれた。体1つで移り住んだ家では、周りから「病気になったらどうしてくれる」と嫌がらせを受けた。財団へ来れば、食べ物はもらえるし生活費も支給される。「ここしか居場所はないんです」。彼女はそう言ってうなだれた。

 被曝者に支給される生活費は、世帯構成や収入などに応じて1カ月当たり55クルザード(3,850円)から165クルザード(1万1,550円)だ。2次汚染防止のため家を取り壊された被曝者には、財団が民家を借り上げて貸与し、食料は15日ごとにまとめて支給する。だが、こうした対策に、当の被曝者の不満は根強い。生活費はギリギリで、食料は「まるで豚のえさ」と言う。家は貸与ではなく自分名義にしてほしいと要求する。

 これに対して財団の広報担当、エドソン・フェラリさん(34)の説明はこうだ。「生活費は国の最低賃金水準を下回っていない。食べ物だって州や市立病院と同じ仕入れ先から調達している。量を増やすと彼らは余りを換金するし、家にしても本人名義にしたら売ってしまう。だから貸与にしてるんだ」

 生活のすべてを財団に頼る被曝者は現在、21家族、96人いる。だが、これは被曝者の一部にすぎない。財団の援助を仰ごうにも、その門すら閉ざされた人たちが、ほかにもいるのだ。