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世界のヒバクシャ

6. 女性医師 手探りで障害研究

第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染

「つじつま合わない」

 「外で話しましょうか」。ゴイアス州政府が被曝者援護のため設立したレイデ財団の女性医師、マリア・パウラさん(36)は、さりげなく言って、財団2階の診察室を出た。ちょうど同室の若い医師が「被曝者は元気だ。問題はない」と言った直後だった。階段を下りながら、彼女は小声でつぶやいた。

 「問題がないなんて…。マスコミの取材には、いつもあの調子なんだから。私、財団の方針に賛成できないの。スタッフと話していると、いつもけんかになるのよ」

 ゴイアニア市内のレストランで、彼女が話してくれた被曝者の概要はこうだ。事故当時、州政府が認定した被爆者は249人で、120人はシャワーでセシウム137を洗い流しただけだった。残る129人が入院し、そのうち50人はセシウムを体内に吸収し、内部被曝の心配があった。50人中、重症の14人がリオデジャネイロの海軍病院へ送られ、4人が亡くなった。事故から1年半余り経過した現在、96人が検査のため財団に通っている。

 「問題がないどころか、つじつまの合わない現象が起きてるのよ」。マリアさんはこう言って、体を乗り出してきた。セシウム汚染から半年も1年もたって、被曝線量に関係なく、皮膚に、やけどのような症状が出たり引っ込んだりする患者が出始めた。今、そういう患者が28人もいる。にもかかわらず、財団が援護の対象にするのは、あくまで245人に限られている。

 「財団のスタッフには、いつも言うんです。認定被曝者だけでなく、症状の出た住民も検査すべきだと。でも聞き入れてもらえません。私には財団の方針を決める権限はないし、説得するにしても時間がかかるのよ」

広島訪問を心待ち

 マリアさんはがんの治療と研究を続けるために、論文を取り寄せては、放射線被曝の晩発障害について調べている。「でも放射線の影響は、まだ分からないことが多いのよね。それにしても、被曝患者を扱うことになるなんて考えもしなかったわ」。彼女はそう言って唇をかみしめた。

 財団のマリアさんの席に1枚のポスターが貼ってある。漢字の「平和」のデザインの下に「ノーモア・ヒロシマ」「7・10・1989」とある。1989年10月7日から、広島市で開く核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の大会を知らせるポスターだ。彼女にも招待状が届いた。

 「なぜ私が招かれたのか分からないんです。財団からハリム理事長の同行を条件に許可が出たので行きます。広島の医師に教えてもらいたいことがたくさんあるの」

 ゴイアニアでは、被曝線量が620~700ラドと最も高いグループが生き延び、450~600ラドの被曝者4人が死亡した。線量と障害の関係をどう考えればよいのか。論文には被曝して2~5年は発がんに注意が必要とあるが、具体的にどうするのか。健康だけでなく気力まで失っている被曝者の精神医療は…。

 広島の専門医たちとの出会いに熱い期待を寄せるマリアさんが、別れ際に言った。

 「セシウム137の被害者は、認定されていてもいなくても、苦しんでいるの。私も正体を見せない放射線障害に悩まされています。それに、あのがん病院がセシウムをきちんと管理していたら、こんな事故は…。そう思うと、同じ医師としてつらい。なんとか被曝者を救いたいのよ」