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世界のヒバクシャ

7. 100グラムが残した汚染物質

第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染

採石場後に野積み

 わずか100グラムのセシウム137が後に残した厄介なお荷物…。汚染物質の行方を追ううち、フリーの放送記者ウェベル・ボルゲスさん(44)に出会った。彼は「汚染物質の保管場所へ行ってみよう」と私たちを促した。

 そこはゴイアニア市の中心部から21キロ離れた丘陵地で、コンテナやドラム缶が無造作に野積みしてある。広さは2.1ヘクタールで、周囲は有刺鉄線で囲まれ、入り口には銃を肩にかけた兵士が立っている。

 黄色い作業服を着た警備員のウビラジャーラ・ソルザさん(37)が、放射線測定器を手に場内を回りながら、よどみなく数字をあげた。

 「ドラム缶4,250個、小コンテナ1,327個、大コンテナ12個、ドラム缶大のコンクリート塊8個。これがすべてだ」

 事故が明るみに出て、ブラジル政府は陸軍兵士200人を投入、現地雇いの作業員を含め総勢600人で、汚染された家屋を取り壊した。コンテナ、ドラム缶の中には、3カ月がかりで回収した汚染物質がぎっしり詰まっている。コンクリート塊に近づくと、測定器の針が大きく揺れた。

 「この中身は、病院跡地からセシウム入り容器を持ち出した男の飼い犬。そっちのドラム缶の列は、亡くなったレイデちゃんの家と家財道具。40センチの深さまで取り除いた敷地の土も入っている。安全か、だって? もちろんだ。1年半ここで働いているがまったく問題はない」。ウビラジャーラさんはそう言って、広大な採石場跡へ敷き詰めたというコンクリートを踏み鳴らしてみせた。

ずさんな回収作業

 「本当は、問題がないわけじゃないんだ」とウェベルさんは、その夜、レイデ財団の女性医師マリア・パウラさん宅で、自ら撮ったビデオを見せながら言った。家屋を取り壊す模様の映像である。「’87・12・06」と日付の入った画面に、放水しながら重機がうなりを上げる光景が浮かぶ。ウェベルさんが画面を見つめながら説明を加えた。

 「ほこりで汚染が広がらないよう水をかけているんだ。でも水は流しっ放しさ。心配してたら、最近になってサンパウロの学者が、水による2次汚染を問題にし始めた」

 「’87・12・13」の画面は、壊した家屋のブロック片を回収する風景が現れ、宇宙服を思わせる防護服に身を固めた作業員に交じって、Tシャツ姿に素手で汚染物を集める人も見える。「こんなずさんな回収作業が3カ月も続いたんだ」と言うウェベルさんのかたわらで、被曝者治療に悩むマリアさんが、何度も首を振った。

 ウェベルさんは事故後、1週間して地元のテレビ会社を解雇された。「全国ネットのニュースで『政府の事故処理はいいかげんだ』とやったら『お前はクビだ』と。ブラジルではよくあることさ」。以来、彼はフリー記者として事故のその後を追っている。

 原子力発電など高度技術をアメリカや西ドイツなど先進国に頼るブラジル。そんな国の、のどかな町で起きた汚染事故の傷は深い。だが、回収した汚染物質は野ざらしのままで、すでにドラム缶4本が腐食して、別の容器に詰め替えられた。しかも、現在の保管地はあくまで仮の場所にすぎず、2年と定めた保管期限は間もなく切れるというのに、最終処分地はまだ決まっていない。

 ウェベルさんがポツンと言った。「技術はお金で買える。でも管理はそうはいかない。その証拠に、大惨事が起きたのにセシウムを放置した医師も、監督した政府も罰せられていない。再発しない、被害者が増えないと、どうして言えますか」