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世界のヒバクシャ

4. 未解決の放射性廃棄物処理

第7章: ノーモア核被害
第1部: 「核」の未来

放射能汚染は環境問題の原点

 今、地球環境の危機がさまざまに語られ、多くの人が、被害者であると同時に自らも加害者であるという現実に戸惑っている。化石燃料がもたらす二酸化炭素による地球の温暖化、フロンガスの多用によるオゾン層の破壊、酸性雨による森林破壊…。

 書店をのぞくと、「宇宙船地球号」の危機を警告する多種多様な本が平積みされ、類書を集めた「地球環境コーナー」のまわりに人だかりができている。市民の関心がかつてなく高まっている証しということなのだろうが、本を手にしてみて気がかりなことがある。地球環境を扱ったおびただしい出版物のほとんどが核実験、核兵器工場、原発事故、核燃料再処理、核廃棄物処分などがもたらす放射能汚染問題を素通りしてしまっているのである。

 核実験がどれほど広大な大地や海を汚し、どれだけ多くの人が健康を損ねて苦しんでいるか。原発、核工場事故が自然の生態系をいかに痛めつけ、人間生活を脅かしているか。そんな実態を世界のあちこちで取材してきた私たちは、地球環境をめぐる論議から放射能汚染問題が欠落してしまっていることに戸惑いを覚える。

 人類が「核時代」に足を踏み入れて45年が過ぎた。この半世紀近い歴史を振り返る時、放射性物質による地球環境の汚染が切実な問題として認識された時期が2度ある。1度目は1950年代、米ソ英の3国が核兵器開発にしのぎを削り、大気圏内でメガトン級の核実験を繰り返していた時期である。米国のビキニ水爆実験がきっかけで「死の灰」という言葉が生まれた。核戦争による地球の終焉を描いたアメリカ映画「渚にて」が空想の世界とは思えなかった。ストロンチウム90が食品を通して体内に入り込む不気味さを知ったのもこの頃である。

 そして2度目は1986年のチェルノブイリ原発事故である。ヨーロッパ各国の薬局のヨウ素剤が底をつき、屋外から子供の遊び声が消え、女性は子供を産むのを控えた。日本でも輸入食品から放射性物質が検出され、送り返された。

 2度とも、放射性物質が一般家庭の食卓にまで入り込み、だれもが日々の生活で否応なく放射能を意識した。その意味で、人々は地球温暖化やオゾン層破壊、森林喪失といった問題以上に、身近な恐怖、不安を体験した。こうしてみると放射能汚染の問題は、地球環境を語る時の「原点」といってよいほどの重みを持っている。

原発推進者の立場

 その放射能汚染問題が何一つ解決したわけでもないのに、地球環境問題の主要な論議から置き去りになっているのはなぜなのだろう。すでに語り尽くされたことで、今さら議論しても仕方ないというのだろうか。

 最近、地球温暖化の論議に絡んで、日本、フランスなど先進諸国の一部で原発推進論が息を吹き返し始めている。「温暖化の原因である二酸化炭素を抑制するには、石油、石炭など化石燃料の使用を削減する必要がある。そのためには火力発電をやめて原発に切り替えればよい」というのだ。

 この「原子力は地球を救う」と言わんばかりの声は、原発推進の立場に立つ人、日本の場合、通産省や電力業界から盛んに聞こえてくる。そこにはチェルノブイリ原発事故以降、新規の立地が難航している現状を打ち破り、地球温暖化問題をテコにして積極推進を図りたいという意図が見てとれる。

 原発推進論者にとって、地球環境を語る時に放射能汚染問題が表に出るのは得策でない。環境論議から放射能汚染が抜け落ちているのは、あるいはそんな背景があるのかとさえ思えてくる。