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原爆記録写真

ヒロシマの記録 被災写真を見る 全壊全焼の境界くっきり

■編集委員 西本雅実

 広島平和文化センターが19日、米国立公文書館カレッジパーク分館(メリーランド州)からの入手を公表した広島原爆の記録写真226枚は、オリジナルフィルムやプリントの複製で精度は高く、これまでにない空撮・地上からのカットが多数含まれている。米軍が「原爆の効果」を調査するために撮った写真は、ヒロシマにとっては「原爆の悲惨さ」を伝える被災資料である。原爆資料館資料調査研究会メンバーで、写真家の井手三千男さん(62)の協力を得て、浮かび上がる被爆の実態をみる。

 米軍は、原爆投下の威力と残留放射能の有無を調べるため、1945年9月8日に「マンハッタン管区調査団」を、続いて10月12日に「日米合同調査団」を広島入りさせている。同時に、大量に詳細な写真を撮った「米国戦略爆撃調査団」が10月14日から11月26日まで活動した。

 原爆資料館の要請で5年前から被災写真を調査する井手さんは「今回の写真は焦土の状態から被爆直後とみられるカットもある」と、大半が8月半ばから11月にかけての撮影とみる。

 写真からは、米軍が、実戦で初めて使用した原爆の威力がどこまで及んだかを執ように追ったことがあらためてうかがえる。爆心地を約300メートル150メートルの低空から押さえるとともに、当時7つの川(現在は6つ)が流れた広島デルタの半径約2キロに広がった全壊・全焼地域の際を識別するように撮影していた。

 焼け残った広島陸軍幼年学校(中区)の防火壁などにも着目。木造・非木造にかかわらず原爆と建物の強度の関係を意識して記録している。

 原爆の記録写真は、米軍が押収した日本人カメラマンの撮影プリントも含め、1973年に「返還資料」として1205枚が被爆地に戻ってきた。米国立公文書館の所蔵については、原爆資料館が翌年、東京の「平和博物館を創る会」が1978年から入手を始めた。広島の被災を記録した写真は、重複分を除くと約1000枚はあると推計される。

 広島分は400枚を超すカットが、刊行された複数の写真集で見ることができる。しかし、被爆の実態を伝える写真が裏焼きだったり、説明が間違っている例は少なくない。総合的な調査がなされてこなかったからだ。

 井手さんは「一連の写真の撮影地点や時期を正確に分類し、詳細に検証すると、これまで不明だったことも分かってくる」と、被爆地の関係機関が連携して調査に務めることが要るという。被爆者の証言を得られる残り時間を考慮すれば、被災写真を通した実態の解明が急がれる。

(2003年6月20日朝刊掲載)