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ヒロシマ用語集

原爆投下の背景

 人類史上、最悪の大量破壊兵器が核兵器です。最初に開発されたのが、原子爆弾(原爆)。米国が世界で初めて製造に成功し、広島と長崎が、その標的となりました。

 米国は1939年から原爆研究を始め、多額の費用をかけて強い破壊力を持つウラン型原爆とプルトニウム型原爆を完成させます。完成前から戦争相手の日本の都市に使う方針を決めていました。

 戦争末期の45年になると日本の主な都市を次々と爆撃機などで攻撃しますが、加えて「戦争を終わらせる手段」だとして原爆の投下を着々と準備していたのです。米国からすれば、戦争が終わればライバルになるとみていた当時のソ連より優位に立ちたいという狙いもあったようです。

 日本の都市で、米軍が投下目標にしたのは広島と小倉(現在の北九州市)、新潟、長崎。その中から広島がウラン型爆弾の第1投下目標に決まります。

 広島は明治時代から軍都で、現在の広島港から海外に陸軍の軍隊を送る拠点として、軍に関係する施設の拡充が続きました。米軍は広島の空襲を控えていましたが、それも原爆の効果を正確に調べたかったからでした。45年8月6日、朝から晴れた広島ではT字形の相生橋を目標に人類初の原爆が投下され、午前8時15分、約600メートル上空でさく裂します。

 3日後の8月9日に長崎にプルトニウム型原爆が投下されました。最初は小倉の方が第1目標でした。しかしその日、視界が悪くて落とせなかったために原爆を載せた米軍機が長崎に向かい、午前11時2分、市中心部の北にある浦上地区に落としたのです。