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ヒロシマ用語集

建物疎開

取り壊して延焼を阻止

 建物疎開(そかい)は、空襲(くうしゅう)による火災の延焼を防ぐために建物を取り壊(こわ)して空間をつくる作業のことです。戦時中、全国の都市で行われ、広島市では1944年11月に国の指示を受けて開始。燃えると困るという理由で市役所や県庁、軍需工場などの周りを壊しました。

 戦時中は、全ての国民が戦争に協力するよう法律で決められていました。45年8月6日も、今の中学生以上に当たる動員学徒や、地域や職場ごとに編成された大人たちが作業中で、原爆で大勢が犠牲(ぎせい)になりました。建物疎開作業に出ていて亡くなった動員学徒の人数は正確に分かりませんが、広島市の原爆資料館によると6千人前後と考えられます。

 資料館には学生服や「形見」となった弁当箱など、作業に動員された人の遺品が多く寄贈されています。リニューアル後は、こうした資料の展示にさらに力を入れます。学芸員の落葉裕信さんは「亡くなった人の苦しみや家族の悲しみが伝わる遺品に向き合い、原爆の恐(おそ)ろしさや平和の大切さを感じてほしい」と話しています。