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ヒロシマ用語集

原爆孤児 

収容施設が生活支える

 原爆で両親を亡くした子どもを「原爆孤児(こじ)」といいます。広島だけで4千~5千人いたとされていますが、正確には分かりません。父か母が生きていても生活が苦しく、路上生活などをした子どもたちも、その人数に入っていたようです。

 原爆投下の2日後、比治山国民学校(現比治山小、広島市南区)に孤児(当時は迷子)収容所が設置されました。約200人に達しましたが、被爆で亡くなった子どもも多くいました。

 1945年12月、五日市町(現佐伯区)に広島戦災児育成所が開設。翌年9月、似島(現南区)に広島県戦災児教育所似島学園ができるなど、少しずつ施設(しせつ)ができて孤児を収容しました。

 「精神養子」とは米国を含めて国内外の人が、精神的な親となって原爆孤児たちに現金や品物を贈(おく)ったり、手紙をやりとりしたりする活動です。

 しかし、住む場所がなく冬の寒さと飢(う)えで凍死(とうし)したり、犯罪に絡んで命を落としたりする子どももいました。原爆は罪のない子どもたちから大切な家族を奪(うば)い、人生をも大きく変えたのです。