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ヒロシマ用語集

芸備線

県北部に被爆者運ぶ

 JR芸備線は、広島駅(広島市南区)と備中神代(こうじろ)駅(新見市)の間を走っています。広島、安芸高田、三次、庄原、新見の計5市を通り、延長159・1キロ(44駅)あります。

 芸備線は初め、芸備鉄道という私鉄が、大正時代に広島―備後庄原(庄原市)間で順次、開業。昭和時代の初期に、国鉄が備後庄原―備中神代間を開通するとともに、芸備鉄道の路線も国有化し、1937年に芸備線となりました。

 原爆が落とされた時は、広島駅の次にある矢賀駅(広島市東区)から折り返し運転をしました。三次市史や東城町史などによると、汽車で運ばれてきた被爆者が、向原、吉田口、甲立、三次、庄原、東城など各駅で救護所に収容されました。三次市史によると、陸海軍関係の病院が県北の各地に疎開(そかい)していることが知られていたため、多くの被災者が芸備線に乗った、とされています。

 広島駅まで復旧したのは、被爆から3日後の8月9日でした。