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ヒロシマ用語集

平和記念公園

設計案 全国から募集

 広島市中区の平和記念公園は、本川と元安川、平和大通りに挟(はさ)まれた三角地帯と、原爆ドーム周辺を合わせた部分を指します。面積は12・21ヘクタールで、1954年にできました。一帯は、45年8月6日の原爆投下で壊滅(かいめつ)する前は繁華街(はんかがい)として栄えていました。

 公園になったのは、市が戦後間もなく構想したからです。49年4月には、「永久に世界平和の拠点(きょてん)」となるような設計案を全国から広く募集(ぼしゅう)しました。同年8月、145点の応募作の中から当時東京大助教授だった丹下(たんげ)健三氏(1913~2005年)のグループの作品が選ばれました。

 その特徴(とくちょう)は、96年に世界遺産(いさん)に登録された原爆ドームと原爆慰霊碑(いれいひ)、原爆資料館を一直線上に結んだ配置です。2007年には、国の名勝に指定されました。

 公園内には、白血病で亡(な)くなった少女佐々木禎子さんがモデルの「原爆の子の像」などの慰霊碑や、被爆建物のレストハウス、被爆アオギリなどがあります。