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ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 アートワークショップで被爆者取材

 被爆地で平和への願いを発信する芸術作品を作ろうと、日米、南アフリカの若者やアーティスト13人と、中国新聞ジュニアライターの13人が二つのグループに分かれて、いずれも被爆者の伊東次男さん(81)=広島市安芸区=と、田中稔子さん(77)=東区=に体験談や平和への思いを聴いた。被爆の惨状を世界に伝えたルポ「ヒロシマ」を著した米国人記者、故ジョン・ハーシーの孫で、米国在住の芸術家キャノン・ハーシーさん(39)たちによるワークショップの一環。

伊東次男さん(81) 原爆で兄 テロで長男失う

 伊東さんから「私の二つのグラウンドゼロ」と題した話を聴きました。グラウンドゼロは「爆心地」という意味で、原爆と(2001年に起きた)米中枢同時テロのことです。

 伊東さんは2歳上の兄宏さんを原爆で、長男和重さんを米中枢同時テロで亡くしました。宏さんや和重さんの遺影、原爆と米中枢同時テロに関する写真も見せてもらいました。

 僕が一番びっくりしたのは遺骨のことです。多くの被害者と同じように、和重さんの遺骨はまだ見つかっていません。代わりに、今は崩壊したビルのがれきや砂などを遺骨として納めているというのです。そう話した時の伊東さんの目は、うるんでいました。

 僕は、米中枢同時テロの被害者家族から話を聞いたのは初めてでした。伊東さんの「1人の命は世界の宝物」という言葉は特に心に響きました。一緒に聴いた米国や南アフリカから来ている人たちも「とてもいい話だった」と言っていました。

 価値のない人はいない。どんな形でも誰かが亡くなれば悲しむ人がいる。二度とこのような悲劇を起こさないように活動するのがジュニアライターの役目だとあらためて思いました。(中3川岸言統)

田中稔子さん(77) やけどで母に気付かれず

 私たちは、七宝作家の田中さんの自宅で被爆体験を聴きました。田中さんは6歳の時、爆心地から約2.3キロの牛田地区(現東区)で被爆。首元や腕にやけどを負い、髪の毛は真っ黒焦げになりました。帰宅しても母に娘だと気付かれません。1年間やけどの痛みに苦しめられ、白血病にも悩みました。頑張れたのは、被爆した日に見た青い空に勇気づけられたからです。「天からの励ましだった」と言います。

 七宝焼を飾った部屋には、原爆や平和をテーマにした赤やオレンジ、青を基調にした作品が並んでいました。その中で熱心にメモを取り、田中さんの表情を撮影していた長崎大などの学生たち。「被爆者が少なくなる中、何を最も若者に伝えたいか」などと質問していました。

 長崎大2年の白波宏野さん(19)は「田中さんの作品には被爆者の苦しみが込められている。私たちも周りの人に影響を与えられるようなアートを作りたい」と話していました。

 私も「出会った人を簡単に敵に回すことはできない」という言葉に、さまざまな人と友情を育む大切さを知りました。誰でもできる平和活動だと思います。(高2山本菜々穂)

(2016年8月15日朝刊掲載)

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