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ジュニアライター発信

中高生記者が「記憶」継承

 世界発信と並び、ヒロシマ平和メディアセンターが進めてきた次世代への継承。中高生の「ジュニアライター」による多彩な活動に代表される、ノーモア・ヒロシマの思いを若者たちが受け継ぐ取り組みである。

 ヒロシマの明日を担う子どもたちとしてジュニアライターは今、被爆証言を聞く「記憶を受け継ぐ」を月2回担当。被爆時の話だけではなく、戦中、戦後の生活や思いをじっくりと取材している。被爆者から孫や恋愛の話が飛び出すことも。原爆の悲惨さだけではなく、苦難を乗り越えて67年余り生きてきた「強さ」を学んでいる。

 平和・国際協力団体を紹介する「ジュニアライター通信」も、ほぼ毎週取材している。

 活動するうち、自ら「アクションを起こしたい」と国際交流や平和活動に参加するメンバーも出てきた。高校生だけで企画運営する平和フォーラムの実行委員を務めたり、国際協力のNPO法人の理事になったり。インドや米国、カナダなどを訪れ、原爆の非人道性を訴えた人もいる。

 「素晴らしい活動をしている人や出来事など『本物』に触れる機会は、子どもたちに計り知れない影響を与えている」。広島市の教育委員を務めていたNPO法人ANT―Hiroshima(アント、中区)の渡部朋子代表(59)は、そう指摘する。広島平和文化センター(中区)のスティーブン・リーパー理事長(65)は「20年、30年後にどんな世界になっているか考えながら未来のために活動して」と期待を込める。

取材のたびに広がる視野

 5年近くジュニアライターをしています。一番印象に残っているのは佐々木禎子さんの友達の川野登美子さんへの取材です。「毎日お見舞いに行くと約束したのに破ってしまった」と涙を流しながら話していました。

 2011年夏には、模擬原爆が落とされた新潟県長岡市に行きました。平和フォーラムに参加して、現地の中学生と平和について議論し、白熱した意見交換会もしました。

 活動を始めるまで、平和や戦争について全く知識がありませんでした。何時間もの取材や原稿直しなど大変ですが本当に楽しいです。取材のたび、視野が広がります。学んだことを周りに伝え、協力して平和な世界をつくっていきたいです。(高1・坂本真子)

子どもサミット 提案実現

 私は2008年の春に、ジュニアライターになりました。初めて取材したのは、衆議院議長(当時)の河野洋平さん。その時、平和などへの思いを話し合って大人に伝える「子どもサミット」の開催を提案しました。

 それが実現して、10年2月に「APECジュニア会議」が広島市内で開催されたのです。子どもの提案を大人が受け入れてくれて、本当にうれしく思いました。

 活動を通して、海外の中高生にも目を向けるようになり、国際交流に関わるようになりました。

 これからは交流を行うだけではなく、恵まれない子どもたちが学校に通えるようにするなど、国際協力活動も行っていきたいです。(高2・坂田弥優)

祖父が語った話 心に残る

 被爆者や医師、市長、知事と多くの人を取材しました。特に心に残った取材は、同居していた祖父(故人)です。それまで「原爆投下の数日後に入市被爆した」としか聞いていませんでした。初めて聞いた話は、どれも新鮮でした。戦争、そして祖父の体験があるから今の僕がいる、と考えると不思議です。

 NPO法人地雷廃絶日本キャンペーンへの取材も印象的でした。地雷や不発弾は、戦闘・戦争後も、民間人、特に子どもが無差別に被害を受けることになりかねません。

 核兵器も、拡散したら廃絶するのは非常に難しいです。しかし、ジュニアライターで培った知識や経験を生かし、核廃絶に向けて力になりたいです。(高2・田中壮卓)

(2013年1月1日朝刊掲載)

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