×

ジュニアライター発信

震災3年半 今を生きる ジュニアライター正出さん 福島県郡山を取材

 東日本大震災の被災地を中学生がリポートする「写真で綴(つづ)る、被災地の『いま』を伝えるプロジェクト」(スマイルとうほくプロジェクト主催)に、中国新聞ジュニアライターで中学3年の正出七瀬さん(15)が参加した。東日本大震災から3年半たった今も福島県郡山市の仮設住宅で暮らし、家の前に植えたイチジクを見ながら「放射線は気にせず食べるからね」と話す女性…。放射線が普段の会話に出てくるのに驚き、郡山市役所や福島空港では、震災後の新しいエネルギーや防災に取り組む現状を見た。

仮設住宅

 

ラジオや喫茶 人結ぶ


 郡山駅から北西約2・5キロにある「富田町若宮前応急仮設住宅」。震災前、富岡町に住んでいた人たちが暮らしています。同町は地震と津波、さらに福島第1原発事故による被害を受けました。原発から20キロ圏内にある町内は、今でも帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域のいずれかに指定されており、住めません。町役場も郡山市にあります。

 仮設住宅敷地内には「おだがいさまセンター」という富岡町復興支援センターがあります。その中には震災後、全国に避難した富岡町民がつながるために続けている「おだがいさまFM」というローカルラジオ放送局があります。ラジオから聞こえてくる東北なまりが、再び人々の絆をつなぎます。

 また、仮設住宅に住む人が集う喫茶や陶芸教室などが催されています。センターの受付には、広島の土砂災害や全国の災害への募金箱が置いてあり、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

語り部

 

情報伝達の大切さ訴え


 富田町若宮前応急仮設住宅では、この震災を風化させないために、語り部の人たちが被災体験を話す活動をしています。遠藤友子さん(68)と青木淑子さん(66)に、当時の様子や今の思いを聞きました。

 震災前に富岡町内で畜産業を営んでいた遠藤さんは、あの日も牧草に肥料を施していたそうです。その時、突然揺れが来て、倒れて来そうなくらい大きく揺れる鉄塔を見ながら四つんばいになって逃げました。その後、避難を呼び掛ける防災無線を聞き、夫と飼い犬と、西隣にある川内村へ避難しました。

 2、3日で帰るつもりで持ち物もかばん一つ。それから3年半たった今も家には戻れていません。牛は殺処分されました。しかし「全国から支援物資をたくさんいただいているのに、これ以上欲を言ってはいけない」と話していました。

 教師としての赴任先だった富岡町が「第二の古里」という、同町社会福祉協議会アドバイザーの青木さんは「情報化社会というが、一番情報が必要な人に届いていない」と訴えます。「地震と津波だけならまだしも、原発事故は人災だ。東京五輪を招致するのに、『(汚染水漏れ問題の)状況はコントロールされている』『福島は東京から離れている』と言われて、私たちは捨てられたと感じた」そうです。2年住むことを想定して建てられた仮設住宅で、多くの人が避難生活を送っています。とにかく「先を示してほしい」というのが遠藤さんたちの願いです。

福島空港メガソーラー

 

再生エネ 学びの場に


 福島県は2040年までに、電力を100%再生可能エネルギーで賄う目標を立てています。その先駆けとして4月に始まったのが、県の中央部にある福島空港でのメガソーラー事業です。

 駐車場近くの約2ヘクタールの広大な土地に、国内外メーカーの30種類、計2千枚のソーラーパネルが設置され、約330世帯分の電気をつくっています。また、子どもたちがエネルギーについて勉強したり、事業者がいろんな種類のパネルを見学したりする場にもなっています。太陽光発電について広く知ってもらうのに一役買っています。

 説明してくれた「福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会」の安達隆裕さん(24)は「自分たちでエネルギー、生活のスタイルを選ぶことが大切だ」と言います。電気は生活に直結しており、発電方法や使い方は人間の文化、文明に大きな影響を与えます。特に、原子力は地球ごと破壊してしまうかもしれません。発電方法は、私たち一人一人が考えていかなければならない課題です。

郡山市役所

 

除染や節電率先


 原発事故後、自治体として1番に除染を始めたのが郡山市です。除染により、高かった放射線量が目に見えて下がったそうです。また震災後は、市役所の屋上にソーラーパネルを設置するとともに、率先して節電し、市全体の消費電力を減らそうとしています。

 次に起こりうる災害に備え、物資調達、給水体制、情報発信などの新たなシステムの構築も進んでいます。防災係主任の本田和也さん(40)は「福島県に多い水害への対策はしていたが、地震は想定外で防災意識が低かった」と話していました。

 地震は予知が難しい自然災害の一つです。あらかじめ防ぐことは難しいでしょう。しかし普段からの備えや、その後の対処で被害を最小限に食い止めることは可能なはずです。どこに集まって、何を持って、どうやって、どこに避難するのか、そんな家庭の会話が、大切なたった一つの命を守ることにつながります。

(2014年10月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ