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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第27号) サンフレとカープ

平和都市 スポーツの発信力

 平和な世界を実現したい―。いろんな立場の人がこうした思いを言葉にし、行動に移しています。中でもスポーツを通じた平和発信は注目度が高く、アピール効果も抜群です。広島を代表するプロチームのJ1サンフレッチェ広島と広島東洋カープも、指揮官のメッセージや海外支援(しえん)などで発信しています。

 今回、私たちはサンフレッチェ監督(かんとく)の森保一(もりやす・はじめ)さん(47)と、カープ前監督の野村謙二郎(けんじろう)さん(49)に思いを聞きました。

 森保さんは、高校まで長崎で育ち、広島のマツダSC(現サンフレッチェ広島)入り。これまでの暮らしの大半を二つの被爆地で送っています。監督4年で3度のJ1優勝という実績もすごいですが、昨季のリーグ・チャンピオンシップ(CS)、クラブワールドカップ(W杯)などの場で「平和都市広島」をアピールする姿にひかれます。

 野村さんは昨年夏、国際協力機構(JICA)とカープ球団のプロジェクトで、内戦後の復興に取り組むスリランカを訪問。野球教室で子どもたちと触(ふ)れ合(あ)い、野球を通じて平和や仲間づくりの大切さを伝え、手応えを感じたと言います。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校2年までの44人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

平和都市 スポーツの発信力

 カープとサンフレッチェは、広島に拠点を置くプロチームとして、平和を意識した取り組みを重ねています。

世界中がヒロシマ知っている

■森保サンフレ監督、クラブW杯で実感

 サンフレッチェ広島の森保一監督は、リーグ戦、CS、クラブW杯などで「平和都市広島」を積極的に口にしました。

●平和への思い

 「核兵器廃絶(はいぜつ)を多くの人が願っている。サンフレッチェは被爆地広島のクラブ。そこから平和をアピールできたら、という思いがある」

 長崎市、広島市という二つの被爆地で暮らす中で「自然と平和を意識するようになった」と言います。原爆投下時刻の8月6日午前8時15分、9日午前11時2分には、練習と重ならない限り、黙とうします。

●決め事

 地元での試合当日の朝、必ず行う「決め事」があります。宿舎のホテルから元安川の岸辺まで歩き、平和記念公園(中区)に向かって祈(いの)りをささげます。「原爆や戦争で亡くなった人の犠牲(ぎせい)が(私たちを)未来につなげてくれている。大好きなサッカーを仕事にできている幸せに感謝する」。自然と足が向くのだそうです。このルーティンは、心を落ち着けて試合に臨むことにもつながっています。

●「世界」での手応え

 昨年12月のクラブW杯は約180カ国・地域に全試合が放送される大会。「世界中がヒロシマを知っていること、サッカーの発信力とその可能性にあらためて気付いた」と言います。

 南米系の大会スタッフから耳打ちされました。「大会後、おれは家族を日本に呼んで観光する。まず行くのがピース・パークだ」。準決勝で対戦したリバープレート(アルゼンチン)のサポーターの多くも試合の前後に広島を訪れたと聞きました。

 「スポーツは政治体制や争いを超(こ)えて人と人を結びつける。クラブW杯の場で、サンフレッチェは世界に向けて『平和都市広島』を発信する役割を担っていると強く感じた」。こうした思いが、より積極的な発言に結びついています。

●広島のチーム

 森保さんはサンフレッチェのプレースタイルを広島の復興と重ね合わせます。「原爆で壊滅(かいめつ)した広島の人たちが復興に取り組んできた。後付けかもしれないが、われわれも広島のチームとして、粘(ねば)り強く、タフに戦い続ける姿勢を持ち続けたい」。諦(あきら)めずに戦い抜くことを常に選手に求めます。「勝敗はコントロールできないが、最後まで頑張(がんば)り続けることはできる。その姿を見てほしい」

内戦からの復興…希望の光に

■野村カープ前監督、スリランカで指導

 広島東洋カープ前監督の野村謙二郎さんは昨年7月、JICAやカープ球団の職員とスリランカを訪れ、子どもたちの野球指導にあたりました。

●楽しさ・喜び

 「笑顔と熱心さが印象に残った。行ってよかった」と言います。スコールが来ても練習をやめない子どもたち。「みんな目を輝(かがや)かせていた」。野村さんの口癖(くちぐせ)の「野球は楽しいもの」という表現と一致したようです。

 プレーする喜びを通じて平和のありがたさを感じ、内戦からの復興へ進んでほしい―。そんな思いを込(こ)めて指導しました。紛争を経験した国にとって、惨禍(さんか)から立ち直った広島は希望の星。「言葉は通じないけれど、心に響(ひび)いたと思う」と振(ふ)り返(かえ)ります。

●重なるヒロシマ

 コロンボでは、2008年の自爆(じばく)テロで亡くなった小中一貫校の野球部員たちの慰霊(いれい)碑(ひ)を訪れました。碑に組み込まれた金属バットに残る無数の穴が、痛ましい事件を物語ります。市民が無差別に犠牲(ぎせい)になる点で「広島が重なって見えた」とも言います。

●期待

 被爆後の広島で復興に向かう人たちをカープが勇気づけたように、野球がスリランカの人に希望をもたらす存在になれば、と野村さん。さらに「協力し合って物事を達成する喜びを感じてほしい」とも。スポーツを通じてこうした姿勢を身につけ「平和に向けてリーダーシップを取る人が出てくれば」と期待します。

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身近に感じる役割大きい

取材終えて

 森保さんも野村さんも、広島とのかかわりの中で平和を意識し、言葉や行動の形にしました。それらは多くの人が平和を考えるきっかけとなります。その役割は大きいと感じました。

 「当たり前のことを当たり前にやり続けること。簡単ではないが、そうすることで特別な結果がもたらされる」。森保さんの言葉です。特別な結果とは「J1優勝」などを指します。ただ、この指摘(してき)は私たちの毎日の学校生活などにも広く当てはまりそうです。

 野村さんも「目標を立てて努力すること」の大事さを強調しました。

 コツコツ取り組む姿勢を重視する点が2人に共通していました。こうした姿勢は「核の脅威(きょうい)や貧困、紛争やテロのない世界の実現」に向けての歩みでも、言える気がします。みんなで平和を願い、それぞれができる行動を地道に続けることで「特別な結果」にたどり着きたいです。

 第27号は、高2中原維新、鼻岡舞子、高1風呂橋公平、山本菜々穂、中3岡田実優、中2プリマス杏奈、溝上藍、中1目黒美貴、伊藤淳仁が担当しました。

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スリランカ
 インド洋の島国。面積は北海道の約5分の4の約6万6千平方キロ、人口約2千万人。1983年、政府のシンハラ人優遇(ゆうぐう)策に対するタミル人反政府組織の反発から内戦が起きた。2009年の終結宣言まで断続的に続き、8万人を超す犠牲者が出たとされる。

スリランカでの野球指導
 復興支援の一環(いっかん)で、国際協力機構(JICA)は2002年から現地での野球指導に青年海外協力隊員を派遣(はけん)。12年には日本の支援で南アジア初の専用球場がディヤガマに完成した。昨年はJICA中国国際センターとカープ球団が、野球用具を提供。野村前監督が現地を訪れ、子ども対象の野球教室をキャンディなどで3回開いた。今後も用具の追加提供などを準備している。

【編集後記】

 サンフレッチェ広島監督の森保一さんと、広島東洋カープ前監督の野村謙二郎さんに取材する前、私の中でスポーツと平和がうまくつながりませんでした。でも、2人の話を聞いて、スポーツは人と人とを結びつけるという大きな役割を担っているのだと気付きました。人と人との結びつきは互いの信頼を生み、平和の前提となります。中でも、野村さんの話にあった「間違っていることを間違っていると言い合える関係」の友達を増やしていかなければと、私は思いました。(山本菜)

 スポーツと平和はどのようにつながるのだろうと思っていました。今回の取材を通じて、スポーツは国境を越えて世界中の人たちをつなぎ、平和の大切さも発信できると分かりました。森保監督は、戦争で亡くなった人たちに対し、今当たり前に生きていけることの幸せを感謝しながら生活をしている、と話しました。そんな考え方を持っている森保監督が平和都市の広島にあるサッカーチームの監督であることを、広島人として誇りに思い、尊敬します。温かい人間性を感じさせる森保監督を見習っていきたいです。(プリマス)

 実際に取材してみて、森保さんも野村さんもとても大きく見えました。平和への思いも大きく、人間としてビッグな人だな、と感じました。世界に向けてヒロシマを発信する2人の思いをきちんと文字にするように気をつけました。一人の学生として2人の考え、生き方を見習いたいとも思いました。「こつこつと努力することで成果を得ることができる」という2人に共通する言葉は、言い換えれば、努力をないがしろにすると成果を得ることはできないということです。こうしたメッセージを心に持ち続け、これからも努力を続けたいと思いました。(中原)

 森保さんたちは、サッカーのクラブワールドカップなどを通して、180余りの国・地域にヒロシマへの理解を深めました。僕たちは、森保さんたちスポーツ選手のように一度に世界の多くの人と理解し合うことは難しいかもしれません。でも、外国の人とスカイプで交流したり、会って話したりすることでその人と理解しあえるようになると思います。いろんな機会を生かして、異なる文化の人たちと少しずつでも理解を深め合いたいです。(伊藤)

 今回残念ながら2人に直接取材できず、取材に参加した他のジュニアライターから話を聞きました。印象的だったのが森保監督の「決め事」です。地元での試合の朝に元安川付近を歩き、平和記念公園に向かって祈ります。平和を意識する監督のこうした行動が心に響きました。一見、スポーツは平和と関係なさそうと思っていたけれど、J1優勝の一つの要素にもなったのでは、とも感じました。監督自身、広島人であり長崎人です。被爆地の広島で暮らしているからこそ考えるべき平和があると思いました。次にこのような取材機会があればぜひ参加したいです。(溝上藍)

 野村さんの「せめて8月6日は全国で平和について考え直す日にしなくてはならない」という言葉に納得しました。ジュニアライターとして活動していても平和について毎日考えるのは難しいことです。でも8月6日にはおそらく広島の多くの人が平和のありがたさをかみしめ、戦争を繰り返してはならない、と意識するでしょう。ただ、全国では8月6日が何の日かを知らない人が大勢いると聞いたことがあり、残念に思います。平和や原爆について、もっとたくさんの人に関心を持ってほしいです。(目黒)

 この取材を通して、スポーツと平和の関係について知ることができました。国境、政治経済を超えて行われているサッカーはまさに平和の象徴であると感じました。言葉は通じなくても、同じピッチでサッカーという競技をプレーすること自体が、平和を表しているなと思いました。(岡田実)

 広島そして日本を代表するアスリート2人に取材することができ感激しました。いつもと違う緊張感もありました。森保さん、野村さんの話には、「スポーツができることに感謝している」という共通点がありました。僕は、日常を当たり前と捉えず、感謝する心が大切なのだと思いました。これから、感謝の心を忘れない学生、大人になります。(風呂橋)

 広島、日本で一際大きな存在感を放つ人の思いを記事にすることで、より多くの人に関心を持ってもらえたらうれしいです。今回、アスリートはもちろん、いろんな人たちがそれぞれの立場で、スポーツを通じて国を越えてつながろうとしていることも実感しました。次世代の子どもたちが誰とでもスポーツを楽しめる平和な世界にしていきたいです。(鼻岡舞)

(2016年2月11日朝刊掲載)

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