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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第21号) 核兵器廃絶を訴える米国人

平和の大切さ 被爆地で気付いた

 人類史上初めての原爆が落とされてから70年たった今、被爆地広島をはじめ国内では、日本人だけでなく、原爆を投下した米国出身の人も「核兵器(かくへいき)をなくそう」と呼(よ)び掛(か)けています。

 戦争を早く終わらせるために、原爆の使用は仕方がなかった―。米国ではこのように習うそうです。しかし、広島に来て、きのこ雲の下で実際に何が起きたのかを目にすると、考え方が変わります。被爆した人たちから「あの日」の恐ろしい体験を聞いたり、今なお放射線の影響(えいきょう)で苦しむ姿を見たりすることで、核兵器のない世界の大切さに気付いたといいます。

 私たちジュニアライターは、核兵器廃絶(はいぜつ)を訴える米国出身の3人に会い、思いに耳を傾(かたむ)けました。核兵器だけでなく、核を利用する原子力発電の危険性についての意見も聞きました。平和な世界の実現に向けて、若者がすべきことを考え、提言にまとめました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校2年までの45人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

自給自足から探る未来

スティーブン・リーパーさん(67)=三次市、前広島平和文化センター理事長

 平和が一番大事です。現在の国際社会のままでは、環境(かんきょう)問題や貧富の差などを解決できず、いずれ人類は自滅します。生き残っていくには、世界中の人々の協力が欠かせません。意見が衝突(しょうとつ)しても武力を使わず、話し合いで解決できる世界が理想です。

 私が平和や原爆について関心を持ち始めたのは、広島に住み、頻繁(ひんぱん)にその話題を耳にしたり、被爆者の話を聞いたりしたからでした。核兵器が初めて人類に使用された日本、特に広島、長崎は「平和文化リーダー」となって、世界の人々の意識が高まるよう、働き掛けるべきです。

 しかし、実際は核兵器の恐ろしさと平和の大切さを訴えるばかりで、平和とは何なのか、実現のためにどう行動すべきなのかについて、言及(げんきゅう)していません。

 私は田舎暮らしを通じて、平和について考える「平和文化村」を三次市甲奴(こうぬ)町につくっています。古民家を拠点(きょてん)に、畑仕事をしながら自給自足の生活を送ります。なるべく電気など人工的なものを使用せず、持続可能なコミュニティーを目指します。さまざまな国の人と住み、真の平和とは何なのかを、もう一度考え直すのが目的です。

 広島の若者は、「平和」という言葉をもう聞きたくない「アレルギー」に陥(おちい)っています。平和の意味を、大人がちゃんと説明していないからです。いろいろな文化の視点から「平和」の意味を捉(とら)え、深く考えていくべきです。(文・高2二井谷栞、中2増田奈乃佳、写真・中2平田佳子)

戦争のインチキと闘う

アーサー・ビナードさん(48)=広島市中区、詩人

 米国がベトナム戦争のさなかだったころ、生まれました。戦争の影響を受けて育ち、物心がつくころから、戦争の「まやかし」に歯がゆさを感じていました。政府は戦争を正当化しますが、暴力や人を殺すこと自体、良いはずがありません。

 この歯がゆく感じる社会の矛盾(むじゅん)と闘(たたか)うことが、文学の本質だと考えています。うわべを取り繕(つくろ)うように言葉が使われ、現実とかみ合わなくなるような「インチキ」に対しては、詩人として抵抗(ていこう)せざるを得ません。

 平和活動をしているイメージを持たれますが、自分にはそんな意識はありません。戦争のインチキと闘うため表現することが、結果的に平和活動につながっているのです。

 原子力発電もインチキです。日本は深刻な核被害に侵(おか)されようとしています。原発も核開発も原爆使用も同じ。ウランを掘り出すこと自体、すべての生物に対する犯罪だと思います。

 私たちは、核兵器や戦争を自分にかかわる問題だと捉えていない傾向(けいこう)があります。しかし、世界で起きている全ての戦争に、関係ない人はいません。もし「関係ない」と言えるのであれば、戦争のあった歴史を無視し、戦争で命を落とした多くの人、そして巻き込まれた動植物の存在を忘れることを意味します。そんな世界は許されません。

 若い皆さんには、世界各地で起きる紛争(ふんそう)や飢餓(きが)を人ごとでなく、自分にも関係することとして捉えてほしい。それが未来のために必要です。(文・高1山田千秋、写真・高2二井谷栞)

危険な原発使用 不思議

ジェラルド・オサラバンさん(41)=広島市安佐南区、広島女学院中高教諭

 広島市に着任して、感動したことがあります。被爆者や市民が、原爆を投下した米国や米国民に対して怒らず、許してくれていたことです。米国にいた時の印象と違い、驚きました。

 シカゴの大学卒業に合わせて、日本の外国語指導助手になるプログラムに応募(おうぼ)しました。しかし、赴任(ふにん)先は自分で決められません。友達と「広島や長崎じゃなかったら大丈夫」と話していました。その理由は「今でも広島の人は米国人を許していない」と想像していたからです。

 母国では「原爆投下のおかげで戦争が終わり、多くの兵士が救われた」と教わりました。しかし、広島の平和記念公園や原爆資料館を訪れるうち、核兵器の非人道性(ひじんどうせい)や、今なお放射線の被害(ひがい)に苦しむ被爆者の姿を知り、「原爆投下は正当ではなかった」と考えを改めました。

 原子力発電についても反対です。チェルノブイリ(ウクライナ)や福島の事故が起きて、危険性を認知したにもかかわらず、国内外でいまだに使われ続けるのが不思議です。

 広島女学院中高の生徒と一緒に平和活動をしています。ことしは高校生の署名活動で、米ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議に参加しました。

 若者には広島だけでなく世界の人々が持つ苦しみにも目を向け、同世代と協力して解決策を考えてほしいです。その材料となるいろいろな視点を若者と探っていきます。(文・高2岡田春海、中3岩田央、写真・高2森本芽依)

取材して考えた四つのメッセージ

 3人へのインタビューを踏(ふ)まえ、核兵器の廃絶へ向けた課題を話し合い、四つのメッセージにまとめました。海外の人や同世代の日本の若者に向けて発信します。(高2岡田春海、高1山田千秋、中3上長者春一、中2平田佳子)

広島に来てください

 広島を訪れると、核兵器についての関心が強まります。「原爆が使われた目的」や威力(いりょく)は教科書などで学べるけれど、市民に与(あた)えた被害や悲しみ、今も続く放射線による障害の恐ろしさなどは、原爆資料館や平和記念公園を見学してこそ、より実感できます。多くの人たちにヒロシマを感じてもらえれば、核兵器をなくすことは難しくないはずです。

若者は世界に関心を

 10~20歳代の若者が、世界中で起きているさまざまな問題に目を向け、解決する方法を考えないといけません。核兵器を廃絶するだけでは、平和は訪れません。飢餓などの食料問題、地球温暖化といった環境問題、民族、宗教の違(ちが)いによる紛争も、平和の実現を妨(さまた)げている要素です。自分たちがこれから生きる世界だからこそ、若者はもっと広く関心を持つべきです。

原発廃止目指すべきだ

 原子力発電について3人は「日本は地震(じしん)が多い国なのに使うのはおかしい」「このまま稼働し続けたら、今後さらに深刻な被害が出てしまうのでは」と指摘します。実際に日本は、東日本大震災(だいしんさい)による福島第1原発事故で放射性物質が漏(も)れ出すなど、今も生活に大きな影響(えいきょう)が出ています。太陽光など自然エネルギーの利用を広め、原発の廃止を目指すべきです。

私たちが推進役に

 核兵器廃絶という大きな目標を達成するには、その恐ろしさや平和の大切さを被爆地で訴えるだけでなく、廃絶の実現に向け、積極的に周りに働き掛け、行動することが必要です。3人からは、広島、長崎の若者が率先して取り組むよう託されました。私たちジュニアライターもその一員として努力します。

(2015年11月12日朝刊掲載)

【編集後記】

 私が今回の取材で一番印象に残ったのは、母校のオサラバン先生に取材した時、「広島に来て原爆に対する印象が変わった」と言っていたことでした。米国では原爆の非人道的な被害や、後遺症で苦しんでいる人が今なおいることなどについては、学ばないそうです。こういった事実にも、世界中の人が目を背けず学ぶことで、核兵器を廃絶するべきだと気付くのではないかと思いました。(岡田)

 今回、僕は初めて、グループで取材しました。分からないことだらけで不安でしたが、少しずつ分かってきて、最後には何とか記事を書き終えることができました。今回の取材を通じて、僕たちのような若い世代が、核兵器廃絶や世界中で起こっている問題の解決のために、活動することの重要さを再確認しました。身が引き締まる思いです。(上長者)

 初めてのインタビューでした。どう話をスムーズに続けるか、何の話題を大切に書くべきか、メモをどう取れば良いのか…。多くの戸惑いと不安がありました。しかし、今回の取材で、どのような流れや、タイミングで質問すればよいのかが、少しずつ分かってきました。テーマも、私たちのグループで決めたもので、決して初めから決められていたものではありません。何も材料のない段階から取材を始め、記事を書き、新聞を作る難しさも分かりました。学んだことを生かし、今後も取材をしていきたいです。(増田)

 今回取材した3人の話を聞いて、共通点がいくつか挙がりました。その中で、特に私の印象に残ったのが、3人とも広島に関心を持ち始めたのは、広島を訪れてからということでした。だからこそ、私は 多くの人に、広島を訪れてほしいと思います。広島を訪れることで、核兵器への考え方が変わると思います。核兵器廃絶への第一歩だと感じました。(山田)

 3人から「広島に来てから原爆や平和に興味を持ち始めた」という共通する意見を聞いて、改めて広島を訪れてもらうことの大切さを学びました。広島で生まれ育った私には分からない感覚だったので、取材できて良かったです。今後は、どのように発信したら、より多くの人に広島に来てもらえるのか、考えていこうと思います。(二井谷)

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