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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第19号) 戦争記憶を受け継ぐ10代

平和な未来 築くのは私たち

 私たちジュニアライターは、被爆者から体験を聞いて新聞やウェブサイトに載(の)せたり、平和に関するテーマでさまざまな人に取材して記事にしたりしています。今回は、私たちと同じように、戦争体験を知り、学び、平和の大切さを発信し続けている同世代を取り上げました。

 取材した中高生は、最初から戦争や平和について関心のあった人ばかりではありません。活動や学習を通して、戦争の悲惨(ひさん)さや不条理を実感し、周りの人にも知って考えてほしい、と思うようになったといいます。上級生から下級生へと、戦争について話すのが当たり前な雰囲気(ふんいき)も引き継(つ)がれています。

 皆(みな)さんも、住んでいる地域にある戦争の記憶(きおく)を知るところから始めてみませんか。戦争って何なのか。具体的に考えるきっかけになるはずです。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校2年までの45人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

紙面イメージはこちら

旭川工業高放送局(北海道旭川市)

当事者取材 体験に迫る

実際にこの地で起きた事件を知ってほしい

 毎年、戦争をテーマにした作品を作っています。「高校生平和祈念(きねん)ビデオ制作コンクール」に作品を出そうと、2007年度から始め、これまでに20本近く手掛(てが)けています。

 ことしは2本制作。ラジオドキュメント「平和~願い続ける70年~」は、NHK杯(はい)全国高校放送コンテスト全国大会で制作奨励(しょうれい)賞を受けました。映像作品「伝える、伝わる~生活図画事件の証言~」は「北海道映像コンテスト2015」で学生部門の最優秀賞に輝(かがや)きました。

 「平和―」は、海軍航空隊で零戦に乗っていた男性(88)の戦争体験に迫(せま)った作品。「戦争は嫌(いや)だ」という彼の言葉を軸に、70年間持ち続けていた「生き残った罪悪感」を表現しました。監督(かんとく)の3年錦川星矢君(18)は「特に同世代には、平和や戦争に対する自分の考えを持つきっかけにしてほしい」と期待します。

 映像作品「伝える、伝わる―」について、監督の3年遠藤尚也君(18)は「戦時中に実際に旭川で起きた事件を知ってほしい」と狙いを話します。事件に巻き込まれた男性(93)への取材や当時の写真を使いながら描いています。

 局長の2年曽我部(そがべ)美穂さん(16)は「戦争体験者が減っている。戦争に関する作品をこれからも残したい」と語りました。局では戦争作品を作るのが伝統になっていて、戦争に関心のなかった人も前向きに取り組んでいきます。皆(みな)さんもインターネットの動画サイトなどで見てみてください。(高1溝上希、中2藤井志穂、中1フィリックス・ウォルシュ)

<生活図画事件>
 1941年9月、旭川師範(しはん)学校(現北海道教育大旭川校)の美術部で、現実の生活を題材に絵を描いていただけにもかかわらず、共産主義思想を持っているとして、当時の治安維持(いじ)法違反(いはん)容疑で学生や卒業生たち26人が逮捕(たいほ)され、18人が起訴された。

沖縄尚学高地域研究部(那覇市)

白梅学徒の足跡ガイド

同世代の少女たち 自分だったらどうしただろう

 沖縄戦での白梅学徒隊の歴史は自分たちが受(う)け継(つ)ぐとする「後輩宣言」を2004年に発表。後世に伝える活動を始めました。学徒が在籍した県立第二高等女学校は廃校(はいこう)となり、後継(こうけい)者がいなかったからです。

 部内のガイドテストに合格した2年生が、白梅学徒隊の足跡(そくせき)をたどるフィールドワークを実施。看護教育を受けた学校や病院となった壕(ごう)を案内しています。ガイドは現在10人。県外の高校生や、部の1年生を案内しています。

 2年長浜妃生(ひなせ)さん(17)は「白梅学徒隊は私たちと同世代。自分だったら…」と、置(お)き換(か)えて考えるようになりました。学徒隊の存在自体を知らなかった2年城間美佑(しろま・みゆう)さん(16)は「二度と戦争しようと思わない」。活動を通じ、平和への関心が高まります。

 一方で「体験していないからうまく伝えられない」との悩(なや)みもあります。当時の詳(くわ)しい状況(じょうきょう)や思いを体験者に直接尋ね、ガイドに生かしています。

 白梅学徒隊を多くの人に知ってもらいたい―。そんな思いの部員たち。2年平田海雄(かいゆう)君(17)は「未来をつくっていくのは私たちの世代。自分のこととして平和を考えてほしい」と語ります。先輩(せんぱい)から後輩(こうはい)へ、記憶(きおく)と思いがきちんと受け継がれています。(高2岩田壮、高2新本悠花、中3中川碧)

<白梅学徒隊>
 沖縄県立第二高等女学校の4年生56人が1945年3月6日から看護教育を受け、うち46人(10人は体調不良などで除隊)が「従軍補助看護婦」として動員された。野戦病院になった壕(ごう)で、負傷兵の排せつの世話、傷口にわくうじの除去、使用済み包帯の洗濯(せんたく)などをした。6月4日、解散命令を受け、戦闘(せんとう)の最前線をさまよい、22人が亡くなった。

長岡市立南中(新潟県長岡市)

空襲や復興 舞台に再現

再び焼け野原にしてはいけないんだ

 2年生が、長岡空襲(くうしゅう)や戦争に関する平和劇を市立劇場や学校の体育館で上演しています。市内にある長岡戦災資料館からの「伝える活動をしてほしい」という呼(よ)び掛(か)けに応じて2010年度から始めました。

 総合的な学習の時間を使い、1年間かけて平和学習をします。長岡空襲の体験者から話を聞き、灯籠(とうろう)流しや市の平和フォーラムに参加して学びます。壁新聞(かべしんぶん)も作ります。集大成の劇の上演前には、ポスターを作って貼(は)ったり、地元ラジオ放送で宣伝したり。多くの人に見てもらう工夫をします。

 来年2月には広島に2泊3日の修学旅行に来る予定です。2年上村桜子さん(14)は「長岡と広島の被害(ひがい)の違(ちが)いを確かめたい」と言います。

 一方、3年生はことし3月に長岡の復興について戦争体験者たちの証言映像と劇でつづる4部構成の「想(おも)い、未来へ」を市立劇場で上演しました。

 推進委員長の本間彩佳(ほんま・あやか)さん(14)は、平和学習を通じて「復興に携(たずさ)わった当時の人々に感謝したい。戦争で再び焼け野原にしてはいけない」と思うようになったそうです。「けんかをしない、自分たちが学んだことを語(かた)り継(つ)ぐ―など、身近なことから実行したい」と語ります。

 担当の山本伸寿(のぶひさ)先生(39)によると、今後、戦災資料館での生徒によるボランティア案内も検討しています。(高2中野萌、高2山田杏佳、小6森本柚衣)

<長岡空襲>
 1945年8月1日午後10時半から約1時間40分、太平洋のテニアン島から飛来したB29爆撃(ばくげき)機125機によって16万3千発を超える焼夷弾(しょういだん)が新潟県長岡市に落とされた。市街地の約8割が焼失、約1480人が犠牲(ぎせい)になった。この12日前の7月20日には、長崎の原爆とほぼ同じ形、大きさの「模擬(もぎ)原爆」が落とされ、4人が死亡した。

(2015年10月8日朝刊掲載)

【編集後記】

 ラジオ番組の監督の錦川さんは、話を聞くのにどこまで踏み込んでいいか、7分という短い時間の中で何を抜き出して伝えるか、ということに悩んだと言っていました。ジュニアライターが、質問する時や記事を書いている時に感じている難しさと似ている気がします。共感しました。(藤井)

 旭川工業高の放送局を取材しました。初めての電話取材だったのですごくドキドキしました。軽い気持ちで入部したのに、こんなハイクオリティーな作品を熱心に作っているのが大変すごいと思います。これからもこういうすごい作品を作る人々に取材したり会ってみたりしたいと思いました。(ウォルシュ)

 遠く離れた長岡からでも、8月6日に広島の平和記念式典をテレビで見ていることを知って嬉しかったです。3月の修学旅行で広島に来る時にたくさん話をしたいです。また学びたいです。(森本柚)

 私の平和学習の思い出は、7月1日の呉空襲の日に、すいとんや乾パンが給食に出たことくらいで、積極的な平和学習はありませんでした。中学校の授業の一環で平和活動と関わったり、空襲の体験を聞いたりすることができる環境や、中学生の平和学習を後押ししている地域づくりが長岡市以外の町でも定着していけばいいと思います。(中野)

 私たちと同世代の人たちが平和のために活動していることを知り、とてもうれしかったです。高校2年生が白梅学徒隊のことをガイドして、その姿を見て後輩の生徒が関心を持ち、次のガイドを引き受けるということに感動しました。活動をもっと広げるために努力していることが分かりました。私も見習いたいです。(新本)

 沖縄についてこれまで取材をする機会が少なかったので、あまり興味がありませんでした。しかし、今回テレビ電話で取材して、私たちと似た活動をする人々の思いを知りました。協力して何らかの活動がしたいです。(岩田)

 子どもが頑張ったところで何かが変わるのだろうか、学校で平和学習をしても、感想文に優等生の答えを書いただけで終わるのではないか、と思うこともあります。しかし、今回の取材では、頑張っている同世代の人の思いを聞けました。知ったうえで自分なりの考えを固めるというところまでできるならば、やらされていると感じるような平和学習にもちゃんと意味はあるのかなと感じました。(山田)

 私は今回、沖縄尚学高を取材をしました。戦争の記憶を風化させないために私たち若い世代が、戦争の記憶について学ばなければいけません。私もこれからは広島だけでなく、ほかの地域での空襲などついても学んでいきたいです。(中川)

 今回、初めての電話取材でした。電話越しに伝わる、同世代の作品、平和への熱意が伝わってきた、とても楽しい取材でした。遠く離れた北海道でも、私たちと同じように活動している同世代がいるということを知り、うれしかったです。(溝上)

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