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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第17号) 平和を呼ぶ歌 

 平和の大切さを訴(うった)える手段はさまざまあります。歌もその一つ。争いや差別のない世界を願う気持ちを、歌詞や旋律(せんりつ)に込めることで、多くの人にその思いが届きます。みんなで声をそろえて表現する合唱なら、参加する一人一人の思いが重なって、訴える力がより強まる気がします。

 今回、ジュニアライターは、広島とゆかりの深い平和を願う曲の中から作品をピックアップ。曲作りに関わった人や合唱に参加した人たちに、歌に込めた思いを聞きました。

 2年前に完成した「広島 愛の川」は、原爆投下後の広島を生きる少年を描(えが)いた漫画(まんが)「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんが残した詞が基になった曲。被爆70年のことし、原爆ドーム(広島市中区)前の川辺など各地で歌われました。この曲をはじめ、多くは「優しさ」「笑顔」「愛と平和」などが表現されています。歌声は社会を癒(い)やし、歌い続けることが、平和な社会の実現を少しずつでも後押(あとお)しする力になると感じます。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校3年までの49人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

優しい心が響き合う

広島 愛の川

ヒロシマ 希望の旋律

 8月6日の夕方、原爆ドーム(広島市中区)の対岸の元安川親水テラスに、「広島 愛の川」の歌声が響(ひび)きました。「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんの作詞です。

 ♪誓おうよ 川に向かって 怒り 悲しみ 優しさを…。

 そろいのTシャツの子どもや、加藤登紀子さんたちプロ歌手合わせて約170人が、せみ時雨(しぐれ)をバックに声を合わせます。歌声はドーム前の川辺を優しく包みました。

 合唱に参加した高校1年土本奈菜美さん(16)=安佐南区=は「平和な世界を願い歌った。みんな真剣()に聴(き)いてくれた」と話します。

 「広島 愛の川」はこの夏、各地で歌われました。中区のJMSアステールプラザで7月31日にあったヒロシマ・ピース・コンサートでは、客席も含め全員で合唱。広島ジュニアコーラスのメンバー、高校2年高森あゆなさん(16)=安佐南区=は「歌は言葉を超(こ)えて通じ合える。中沢さんの平和への願いをこれからも伝えます」と意気込(いきご)みを語りました。

 実は、これまでこの曲をよく知りませんでした。でも、ホールで、川辺で、生の合唱を聴くうちに思わず口ずさんでいました。穏(おだ)やかな旋律の中に、力強さと未来への希望や優しさがあふれています。新しいヒロシマの旋律として、世界へ平和の願いを運んでいってほしいです。(高1風呂橋公平、中1伊藤淳仁)

次代の幸せ 祈りに共感 作曲した山本さん

 「広島 愛の川」を作曲した山本加津彦(かつひこ)さん(36)=東京都三鷹市=は2013年、中沢さんの詞に出合い、「ゲン」にみられる怒(いか)りとは対照的な優しさを感じたそうです。年月を経て発せられた「子や孫の世代はどうか幸せに」というメッセージに共感を覚えました。大勢の子が教室で歌う様子を思い描(えが)き、「100年先も歌い継(つ)がれる曲」を目指して仕上げました。

 山本さんから作曲の申し出があったとき、中沢さんの妻ミサヨさん(72)=広島市中区=は「夫は、若い人に曲を、と言っていましたよ」と激励(げきれい)しました。「その方が次の世代に、より伝わる曲になる、と考えていたのだと思います」

 ミサヨさんは「広島の川ではものすごい数の人が亡くなった。忘れてはならない。怒りや悲しみを踏(ふ)まえつつ、未来の子どもを意識し、あえて優しい表現をしたのでしょう」と言います。「みんなで声を合わせ歌うことで思いを共有できる。大事なことです。歌を取っ掛(か)かりに、若い世代の皆(みな)さんも平和について考え、勉強していってほしい」と願っています。(高2佐伯雛子、中1目黒美貴)

アオギリのうた

これから生まれてゆく 広島を大切に…

明るい笑顔広げたい

 平和記念公園(広島市中区)内の被爆アオギリを題材にした歌です。2001年に市が募集した「広島の歌」のグランプリ曲。受賞当時千田小(同)3年だった森光七彩(もりみつ・ななせ)さん(23)=島根大4年=が作詞作曲しました。私たちも小学校の時によく歌ったし、今も歌われています。

 ♪遠いむかしの できごとを わすれずに思う アオギリのうた これから生まれてゆく 広島を大切に…。

 被爆に耐(た)えたアオギリや平和に対する素直な思いが表れ、だれにも分かりやすく伝わります。森光さんは「広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔」というところが気に入っているそうです。この歌を通じ、多くの人が平和を思ってほしいと言います。

 私たちも、この歌が、国内はもちろん海外にも広がってほしいです。みんなが口ずさめば、歌詞の願い通りの世界に近づけるのではないかと思います。(中3岡田実優、中2溝上藍、中1目黒美貴)

ねがい

頭上に 落とされたものが… 本やノートであったなら…

歌詞を募集 2100番超える

 「広島で生まれた21世紀の『イマジン』」とも呼ばれます。広島市南区の大州中生徒の意見を集めて歌詞ができ、広島合唱団のたかだりゅうじさん(63)が作曲し、2002年に合唱曲になりました。

 ♪もしもこの頭上に 落とされたものが… 本やノートであったなら… きみは戦うことを やめるだろう…。

 初め歌詞は4番まででした。教育関係者の間で評判になり、インターネット上で歌詞を募集(ぼしゅう)すると、国内外から寄せられて2100番以上になりました。

 発案者で今は牛田中(東区)で教える横山基晴さん(56)=写真=によると、米中枢(ちゅうすう)同時テロがあった01年、広島から平和の願いの発信を生徒に持ち掛けたのがきっかけでした。

 今も各学校の行事や平和のイベントで歌われます。発信元の大州中では、8月の「平和について考える日」などで歌っています。生徒会副会長の3年元木瀬里さん(14)は「平和への思いが込(こ)められた歌を大切にし、後輩(こうはい)に引(ひ)き継(つ)いでいきたい」と話します。

 横山さんは「世界に目を向け、学習を深める手段になれば。そして、歌詞に盛り込んだみんなの願いを実現させてほしい」と期待します。(高2中原維新、中1目黒美貴)

大地讃頌(さんしょう)

感受性磨くきっかけに

 平和を歌う合唱曲の定番といわれます。1962年にできたカンタータ「土の歌」の中の最終7楽章。原爆の惨事(さんじ)をも包(つつ)み込んでゆく大地への感謝が込められた曲です。「母なる大地を たたえよ ほめよ…」。広島にやって来る修学旅行生にも歌われています。

 広島市出身の故大木惇夫(あつお)さん作詞、作曲は佐藤眞(しん)さん(77)=写真・東京都豊島区。

 壮大(そうだい)なテーマの曲だけれど、広く受け入れられていると感じます。佐藤さんに尋ねると「多くの人が取り組めるよう、歌いやすさを考えて作曲した」とのことです。

 佐藤さんは「平和の実現には、自分で深く考える姿勢が大事。そのためにも感受性を磨(みが)くこと。歌をそのきっかけにしてほしい」と助言します。私ももっと歌に触(ふ)れて感受性を高めていきたいです。(高1山本菜々穂)

(2015年9月10日朝刊掲載)

【編集後記】

 「ねがい」という曲を誕生させた横山さんを取材して、いろんなことを新たに知りました。歌詞が増え続ける歌があること、そしてそれが様々な場面で歌われていることなどです。平和に関する歌には接する機会が少なかったので知識が増えてうれしいです。横山さんと生徒が歌詞に込めた思いを感じながら、歌い継いでいけたらいいな、と思います。(中原)

 中沢啓治さんの妻ミサヨさんに直接会ってお話を聞けたのは、貴重な経験でした。中沢さんが残した「広島 愛の川」は、「はだしのゲン」の激しい描写とは違う、優しい穏やかな歌詞だけれど、小さい子どもでも、家族や身近な人の存在を大切にすることについて、自然に考えることができる歌詞です。「歌」っていいなと思いました。(佐伯)

 これまで僕は、平和と歌の関係について考えたことはほとんどありませんでした。でも、今回取材をして、歌には人々を勇気づける力がある、と体感しました。知らない歌でも、聴いていると、周りも僕もリズムに乗りだします。たくさんの人へ平和を伝えていく手段として、「歌」があると知りました。(風呂橋)

 カンタータ「土のうた」の最終7番「大地讃頌(だいちさんしょう)」を作曲した佐藤眞さんを取材しました。「感受性を磨くことが重要だ」という作曲家ならではの考えを聞くことができました。感受性を養う有力な方法に、歌うことがあると思います。歌が人々に与える影響は計り知れないのだと身をもって感じました。(山本菜)

 今回の取材を通して、歌で感じる平和への思いを知りました。「アオギリのうた」を聞いて、涙を流された方もいたと、作者の森光七彩(ななせ)さんは言われていました。平和へのまっすぐな気持ちが、歌にのって、多くの人の心へ届いているのだなと思いました。平和に関わる音楽はほかにもたくさんあると思うので、興味を持って接していきたいです。(岡田実)

 今回、歌のすごさをとても実感しました。私が取材した「アオギリのうた」の作者、森光さんは小学2年のときにこの曲を作りました。曲に込めた平和への思いはその後、小学生だった私にも届きました。 歌は、年齢に関わりなく感じ合えるのです。とても驚き、これからも歌っていきたいとあらためて感じました。(溝上藍)

 中沢ミサヨさんは、歌を「平和を考える種」にしてほしいと言われました。歌はだれでも口ずさめて、曲に込められた平和への思いも伝わりやすいはずです。多くの人が歌を歌ってその意味を考えれば、平和へと近づけるのではないかと感じることができた取材でした。(目黒)

 今回、いろんな歌を聴いて、平和を伝える手段の中には歌もあるんだなと思いました。歌は言葉が違っても歌えます。旋律は万国共通なうえ、歌を歌っていると、笑顔になれるからです。8月6日の元安川親水テラスで、それを実感しました。だから、歌を歌って笑顔になろうと思いました。(伊藤)

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