×

ジュニアライター発信

ジュニアライター中野さん 福島・南相馬市を取材 進まぬ復興を目の当たり

 東日本大震災の被災地を中学生がリポートする「写真で綴(つづ)る、被災地の『いま』を伝えるプロジェクト」(スマイルとうほくプロジェクト主催)に、中国新聞ジュニアライターの中学3年中野萌さん(14)=呉市=が参加した。事故を起こした東京電力福島第1原発に近い福島県南相馬市を訪れ、復興が進まない同市小高(おだか)区を視察。太陽光発電で野菜を栽培する施設や、被災のため縮小した伝統行事「相馬野馬追(のまおい)」を取材した。

小高区浦尻

 

ごみ袋山積み 車放置


 福島第1原発から北に約10キロ離れた小高区の浦尻を歩きました。

 避難指示解除準備区域のため、人は住めません。加えて、津波の被害も大きく、がれきの撤去が全然進んでいません。道路にがれきの入ったごみ袋が山積みされていました。がれきや水のタンクなど津波で流されてきた物がそのままになっていて、雑草も辺り一面に生えています。

 家はあっても、1階部分は津波で壊れて、2階部分しか残っていません。ぐちゃぐちゃになったままの車も放置されていました。

 人影もなく、震災の時から、まさに時間が止まっているような感じです。復興の兆しが見えません。人が住んでいたとは思えない状況で、怖い気持ちがして、津波の威力を感じました。

相馬野馬追

 

迫力演技で恩返し


 千年余り前に始まり、国の重要無形民俗文化財になっている伝統の祭り「相馬野馬追」が毎年7月下旬、相馬、南相馬両市や浪江、双葉、大熊町などの人々により、主に南相馬市で開かれています。しかし、2011年は東日本大震災が起きたため、規模を縮小せざるを得ませんでした。福島第1原発事故で多くの人が避難していたのに加え、多くの馬が津波で流されたからです。

 昨年からはメーン行事が復活し、例年とほぼ同じ形での開催になりました。見学した南相馬市原町区の中ノ郷騎馬会には震災後、日本だけではなく、海外からも応援メッセージや義援金が寄せられました。会長の中島三喜さん(65)は「支援してもらってうれしい。迫力ある演技をして恩返しするとともに、伝承者としてより立派に残したい」と話していました。

原町区

 

太陽光発電 野菜栽培に 「地元に勇気を」


 津波による被害を受けた原町区の海岸近くに、太陽光発電と野菜栽培の体験学習施設「南相馬ソーラー・アグリパーク」はあります。2・4ヘクタールの敷地に、出力500キロワットの太陽光発電所と2棟の植物工場が並んでいます。ことし3月に完成しました。

 主に小学生を対象に、体験学習ができるようにしています。太陽光パネルの角度と発電量の関係を調べたり、パネルの点検を体験したり。身近にある自然エネルギーを学ぶことなどで、「自ら考え、行動する力」を育み、復興を担う人になってほしい、との願いが込められているのです。

 発電した電気は、野菜栽培をしているドーム型ビニールハウスの植物工場を支えるための空圧調整や、温度や湿度のコンピューター制御などに使われています。工場では、ホワイトセロリとサラダ菜を1日に800株生産しています。無菌状態で生産することにより、福島第1原発事故による放射線の風評被害をなくそうとしています。

 代表理事の半谷栄寿(はんがい・えいじゅ)さん(60)は、「津波で何もなくなったこの場所から、地元に勇気を与えたい」と言います。

 南相馬市出身の半谷さんは、震災の3年前まで東電の執行役員をしていました。「地元に住む被害者というだけではなく、今回の事故で、加害者でもある責任を感じた。自ら復興に貢献したいとの思いから始めた」。涙を浮かべながら、そう語っていました。

福島県南相馬市
 2011年3月11日に発生した東日本大震災では震度6弱を観測。同日午後3時35分ごろ、津波が到達した。当時の市の人口約7万人のうち、1064人が死亡(今年7月10日現在)、負傷者は59人(同)に上る。今、事故を起こした福島第1原発から半径20キロ圏内にある小高区や市北西部が宿泊できない避難指示解除準備区域に、市西部が帰還困難区域、居住制限区域となっている。

 スマイルとうほくプロジェクト 東日本大震災の被災地に笑顔を広げ、その笑顔を全国に届けようと、福島民報社(福島市)河北新報社(仙台市青葉区)岩手日報社(盛岡市)の新聞3社が合同で実施。本年度は被災3県を除く44都道府県から選ばれた中学生45人が、5月から来年1月にかけて計9回、被災地を取材する。

(2013年8月19日朝刊掲載)

年別アーカイブ