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ジュニアライター発信

Peace Seeds~10代がまく種~ <11> 青年海外協力隊 小さな一歩世界つなぐ

 日本と途上国(とじょうこく)の懸(か)け橋となる青年海外協力隊。日本の政府開発援助(えんじょ)(ODA)の一環(いっかん)として、国際協力機構(JICA)が1965年から始めました。20歳から39歳までの人が原則2年間、アジアやアフリカ、中南米などに住み、現地の言語を使って、地元の人たちと協力して発展に力を注ぐボランティア活動です。地域の人々の幸せのために何ができるのかを考えながら過ごします。悩(なや)み、行(い)き詰(づ)まることもありますが、現地の人たちの温かい人間性に触(ふ)れ、異文化を学ぶ機会もたくさんあります。10年前からは原爆展の開催(かいさい)もスタート。ヒロシマ、ナガサキを通して平和、復興についても伝えています。元隊員に、現地での喜びや戸惑(とまど)い、今の思いを聞きました。世界中のみんなが平和で安心して暮らせるための、小さな一歩になっているようです。

陶磁器(フィリピン)

声掛け信頼獲得

森木由加里さん(38)=東広島市

2006年12月~08年12月、09年6月~10年4月

 かつてタイに派遣(はけん)されていた友達に勧(すす)められ、「2年後の自分を見てみたい」と応募(おうぼ)しました。

 1年目は、人間関係づくりがほとんどでした。「陶芸(とうげい)の講習会に来てね」と頼(たの)むと「うん」と言うのに、来てくれません。「断ってその場の雰囲気(ふんいき)を悪くしたくない」という現地の人の思いに気付き、それからは目が合うたびに「来てね」と言って、信頼(しんらい)関係を築いていったそうです。

 2年目は本格的に陶芸に取り組みました。窯(かま)たきの松がなく、マンゴーの木を代用しました。そして帰国後、同じメンバーでもう一度窯たきしたいと短期ボランティアに参加しました。

 「理解し合う大切さを学んだ」と話します。国籍(こくせき)に関係なく同じ人間と思うことが、距離(きょり)を縮める第一歩になります。

 JICA国内協力員として、来年2月で任期を終えます。その後は、陶芸か国際協力か別の道か…。進みたい方向を模索(もさく)中です。(高1中野萌)

ソーシャルワーカー(スリランカ)

宗教の共生 感心

松原勇作さん(30)=広島市安芸区

2012年6月~14年6月

 現地の老人会に行った時のことです。そこには仏教徒とイスラム教徒がいました。「大丈夫(だいじょうぶ)かな」と心配しましたが、一緒(いっしょ)に楽しんでいました。「共生できるものなんだ」と感心し、自分の宗教的感覚の乏(とぼ)しさを実感したそうです。

 体操を教えるために各地の老人会を定期的に巡回(じゅんかい)していました。任期の終わりごろに訪れたら「座っておけ」と指示されました。「おまえが(日本に)帰っても、おまえを思い出しながら体操を続けるから」と代表者に言われ、現地の人だけで体操をしてみせてくれました。「任期が終わっても大丈夫なんだ」と感じました。

 スリランカの人は自分の家族や国を大切にしています。「自分の周りの人を大事にすることが幸せにつながる、と学んだ」と話していました。(中1平田佳子)

土木(ウガンダ)

考えの違い克服

竹内英祐(えいすけ)さん(36)=広島市安佐南区

2009年3月~11年3月

 建設会社で培(つちか)った土木の技術を役立てようと参加しました。赴任(ふにん)する前は「ウガンダ中の全ての道路をアスファルト舗装(ほそう)しよう」と意気込(いきご)んでいました。しかし、現地には材料も資金もありません。さらに、現地の人はアスファルト舗装を決して求めていないことが分かりました。

 自分と現地の人との考えに大きな違(ちが)いがあるという問題に直面したのです。相手のニーズに合わせ、土のうで穴を埋(う)めたり、木の橋を架(か)けたりしました。

 「相手の考えや立場を考え、信頼(しんらい)関係を築くのが大切」と言います。この経験は、帰国後に就職した会社で、道路管理の仕方を教えるためにモザンビークへ出張した時にも生かされました。相手のペースに合わせながら仕事をうまく進められたのです。(高2了戒友梨)

村落開発普及員(フィリピン)

「ありがとう」胸に

服部美樹子さん(29)=広島市中区

2010年10月~12年10月

 マニラから南東にバスで10時間の村で、村のお母さんたちと、不用な雑誌で「ペーパービーズ」というアクセサリーを作る活動をしました。ただ、始めたのは着任(ちゃくにん)1年後。活動内容を全て自分で決めるのに、なかなか見つけられなかったからです。

 自分が本当にここに来て良かったのだろうかと、悩(なや)む時期もありました。1年くらいたった頃(ころ)にある役場の人が「この村に来てくれてありがとう」と声を掛けてくれ、初めて来て良かったと思えたそうです。

 フィリピンに行って、日本を客観的に見られるようになりました。日本で薄(うす)れつつある近所付き合いの良さを知り、みんなで助け合う大切さにも気付きました。これから、学校などへ行ってフィリピンを身近に感じてもらう活動をしたいと考えます。「話を聞けば気持ちの中で距離(きょり)が縮まる。『危ない』という誤解や偏見(へんけん)がなくなるといい」と願います。(中3山田千秋)

体育(ベリーズ)

「一緒にやる」 大切

浜長真紀さん(29)=広島市中区

2008年1月~10年1月

 初めは小学校の校長に伝えたいことが伝えられず、涙(なみだ)の日々でした。しかし、「やってあげる」姿勢から「一緒(いっしょ)に何かやろう」という気持ちに切(き)り替(か)えてから、次第にうまくいくようになりました。

 ベリーズには、それまで体育や芸術などの授業はありませんでした。1年目、授業を担当する傍(かたわ)ら、年間カリキュラムや教科書を独自に作成。2年目は現地の先生に授業を任せ、その進め方の助言をしました。体育を通じて子どもからも好かれ、ある父親から「うちの息子はマキの言葉を何でも覚えている。気持ちがこもっているからだよ」と言われたのが忘れられません。

 異文化の中で2年間過ごし、どんなときでも「何とかなる」という気持ちを持てるようになりました。「もし協力隊に関心を抱(いだ)いているなら、アクションを起こしてみたら?」と笑顔で語ります。(高1二井谷栞)

原爆展 62ヵ国に広がる 隊員ら開催

 青年海外協力隊による海外での原爆展は2004年、広島県出身の隊員たちが中米のニカラグアで初めて開きました。内戦で心に傷を負った人たちに、復興した広島の歴史を知ってもらうためでした。

 原爆展はその後、ことし9月までに62カ国で計126回を数えます。ヒロシマやナガサキのポスターの展示、映画「はだしのゲン」「ヒロシマ・母たちの祈(いの)り」の上映などが主です。会場は公園だったり学校だったり。企画(きかく)する隊員の思いから、折(お)り鶴(づる)体験コーナーの開設や人形劇の上演など内容はさまざまです。

 広島出身の隊員には事前学習として原爆資料館(広島市中区)の見学などが義務付けられています。スリランカで原爆展を開いた松原勇作さんは「世界では“広島といえば原爆”と言われる。詳(くわ)しく原爆について知り、伝えていきたい。ただ、発信ばかりでなく世界の内戦や紛争(ふんそう)なども学び、平和を思う気持ちを共有することが大切」と語ります。(高1二井谷栞)

青年海外協力隊とは

 青年海外協力隊は、途上国の人に日本が持つ技術を伝えて、友好を築くのに加え、ボランティアの経験を日本でも生かしてもらおう、と始まりました。

 これまで延べ約4万人が世界88カ国へ派遣(はけん)されました。現在は約1900人が70カ国で活動しています。JICA中国国際センターは春と秋の隊員募集(ぼしゅう)に合わせた説明会をしています。

 職種は120余りあります。人気があるのは、村の課題を見つけて解決する「コミュニティー開発」や、子どもと関わる「青少年活動」など資格が要らないものです。

 全国で年間約3千人の応募(おうぼ)があり、大学生や社会人が多いそうです。帰国後は民間企業(きぎょう)や公益法人などに就職する人が6割います。派遣前(はけんまえ)の職場(しょくば)に戻る人は2割足らずです。最近、民間企業からの求人が増えており、JICA中国市民参加協力課主任調査役の川本寛之(ひろゆき)さん(41)は「民間企業が成長している途上国に進出するのに、現地での生活経験があってたくましい隊員は即戦力(そくせんりょく)になるのではないか」と分析(ぶんせき)していました。(中2岡田実優)

≪編集後記≫

 私は途上国にものすごく興味があります。小学校のころ、英語の授業で黒人の先生と出会ったのが、海外を身近に感じるようになったきっかけです。その後、国連児童基金(ユニセフ)のDVDで、貧困に直面する途上国の現実を見て、同じ人間が苦しむ姿に衝撃を受けました。

 今回、青年海外協力隊OB・OGの方から、今まで読んだエッセーや小説だけでは分からなかった現地での話をたくさん聞くことができて、本当にうれしかったです。より一層、途上国に行きたいという思いが強まりました。この経験を将来へ生かしたいです。(二井谷)

 トイレに便座がない、と聞いて衝撃を受けました。服部さんは地域の人たちとの交流が楽しかったと言っていて、私の住んでいるところは近所付き合いが少ないのでうらやましく感じます。私も青年海外協力隊になって、現地の人たちと交流したいです。(山田)

 取材に先駆けて、青年海外協力隊の説明会に参加しました。そこで驚いたのが、要請職種の多さです。海外協力といえば、「井戸掘り」というイメージを持っていた私にとって、陶芸やスポーツで海外協力ができることは意外でした。だから、誰にでも参加するチャンスがあると思います。

私は将来、海外協力に携わりたいと思っているので、森木さんのような根気強さや応用力を身につけたいです。(中野)

 私は、この青年海外協力隊の取材を通して様々な職種があることに驚きました。今までは、村の人と話し合いをして、開発をしていくというのが青年海外協力隊だと思っていました。取材をしてみると、陶芸を教えたり、スポーツを教えたりと自分の特技や経験、資格を生かせるものが多いなと思いました。

 青年海外協力隊は、一次試験、二次試験と試験を行い、派遣前に、70日もの訓練を行わなければならないので、とても大変です。訓練のなかでは、現地の語学を習ったり、その地域について学んだりしており、それでも、青年海外協力隊を目指す人は、年間3000人を超え、約70カ国に行っていてすごいです。

 この取材を通して、隊員の人たちは、民族や文化、風習などいろいろなことが違う人たちと、分かりあっていけるような様々な努力をしている、という事を知りました。私は、外国にいる友達とそれぞれの文化や生活について理解を深めていけるようになりたいです。(岡田)

 「興味があったら、1個アクションを起こすことが大切」という松原さんの言葉に関心を抱きました。私は何かに興味を持ってやりたいという気持ちが芽生えたとしても、失敗したらどうしよう、何となくできる気がしないからやっぱりやめとこう、というすごく後ろ向きな考えしか持てませんでした。松原さんは、不安を感じることはあったけれど、やって良かったと話していました。私も前向きな考えで、アクションをおこしてみようと思います。(平田)

 今回、初めて一人で記事を書きました。少し硬い表現になってしまい、記事を書くことの難しさをあらためて感じました。竹内さんのように私たちもいろいろな経験をし、1つの物事を沢山の視点で見られるようになりたいです。(了戒)

(2014年11月24日朝刊掲載)

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