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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第18号) 戦時中の子どもの楽しみ

正しい戦争だといつの間にか思っていた

 中国新聞ジュニアライターは、被爆者に会って体験を聞き、記事にする活動を続けています。取材のたびに強い印象を受けるのは、原爆に遭(あ)う前の子どもの時の話をたくさん聞かせてもらえることです。川や海で遊ぶ。歌を口ずさむ。児童文学作品や漫画(まんが)を回し読みする―。戦争中でも、ささやかながら娯楽(ごらく)があったようです。

 ただ、当時の本や歌は、国が情報を厳しく管理し、戦争をもり立てる内容ばかりでもありました。

 戦争中、私たちジュニアライターと同じ年頃(としごろ)だった人たちは、どんな「楽しみ」と接する機会があったのでしょうか。いろんな遊びの中で、主に1930年代から終戦の45年にかけて日本で親しまれた、漫画、子ども向けの本、軍歌について、研究者や被爆者から話を聞きました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校3年までの49人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

マンガ・雑誌

抵抗ない面白さの怖さ

 漫画は、戦時中も今と同じように、子どもと大人の楽しみの一つでした。値段が高く、みんなで囲んで読んでいたそうです。

 京都国際マンガミュージアム(京都市中京区)を訪ねました。市と京都精華(せいか)大の共同事業として運営され、主に明治以降の出版物を約30万点も所蔵する施設。普段(ふだん)は閲覧(えつらん)が制限されている貴重な漫画や少年雑誌を、特別に見せてもらいました。

 1942年創刊の雑誌「航空少年」は、日本の戦闘機(せんとうき)や撃(う)ち落とした敵機を絵と写真で紹介しています。新聞の4こま漫画(まんが)「フクチャン実践(じっせん)」は、「これからの日本人は海の外へどしどし出なくちゃね」と主人公が語り、41年12月で一時休載(きゅうさい)します。作者自身が南方に従軍(じゅうぐん)したのです。

 同じ雑誌の中に、戦争物とともに、くすっと笑える漫画や、夢中になるほど面白い「忠臣蔵」などの読み物も載(の)っています。これは意外でした。

 京都精華大国際マンガ研究センターの雑賀忠宏(さいか・ただひろ)研究員(35)=社会学=は「面白い本を作ろうとする半面、戦争を盛り上げる内容がないと、当時は配給品だった紙がもらえなかった。そんな状況が、二つの性格を併(あわ)せ持つ雑誌の背景にある」と説明してくれました。

 何もかも戦争一色の時代だった、と決め付けられないと感じました。「戦争」と「面白さ」が合わさると、抵抗なく読めることに驚(おどろ)きました。世論とは、こうして気付かないうちにできるのかもしれない。私が今、当時と同じ状況(じょうきょう)に置かれたら、戦争の恐ろしさに気付くことができるのだろうか、と考え込(こ)んでしまいました。

 雑賀さんは「感動や悲劇の物語は、戦争の『格好良さ』と簡単に結び付く。『面白さ』の中身を、複数の視点から見ようとすることが大切」と話します。

 ミュージアムでは「はだしのゲン」など戦後の戦争漫画も特別展示されていました。本や写真と違(ちが)う説得力で戦争の実態を伝えるのも漫画です。いろんな作品に接しながら、「複数の視点」を持つ難しさを考え続けたいです。(高1正出七瀬)

児童書

多様な情報の大切さ知る

 子ども向けの本も発行年によって変化し、戦争という時代の空気が反映されていることに驚かされます。広島市佐伯区に住む児童文学者の三浦精子(みうら・せいこ)さん(79)と一緒に、代表的な絵本雑誌「キンダーブック」などを開きました。

 1930年代初めまでは、おもちゃなどがカラフルに描(えが)かれています。しかし満州事変の翌年の32年には「愛国」と刻まれた戦闘機が出てきます。太平洋戦争開戦の翌年の42年には雑誌の名を「ミクニノコドモ(御国の子ども)」に改題しました。

 さらに、政府から雑誌の統合を求められ、44年から終戦後まで休刊。日本でただ一つの絵本雑誌となった「日本ノコドモ」は、敗戦が迫る45年4月号の副題が「テキゲキメツ(敵撃滅)」でした。

 児童文学の人気作品も多く、今も読むことができます。しかし三浦さんは「軍国主義的な表現を削除(さくじょ)して復刻(ふっこく)された本もある。それを読んでも時代背景を正確につかんだことにならない」と指摘します。戦争に協力した過去は、作者に都合が悪かったのかもしれません。でも、隠(かく)して歴史に埋(う)もれさせるのではなく、過去から学ぶべきです。

 昔の出版物を今読むと、「戦争一色」と感じます。しかし、自分が当時生きていたら「戦争を批判してはならない」と言っていたかもしれません。国の統制を受けず、多様で幅(はば)広い情報が手に入る社会を維持することが大切です。私たちジュニアライターも、自分の意志で考え、判断した情報を誠実に伝えていかなければ、と感じます。(高2谷口信乃)

軍歌

懐かしい…でも間違った道

♪兵隊さんはきれいだな 兵隊さんは大好きだ…

 ♪兵隊さんはきれいだな 兵隊さんは大好きだ…。12歳のときに被爆した西村一則さん(82)=広島県府中町=は「兵隊さん」などの軍歌を何曲も覚えています。

 ラジオから流れる軍歌を耳で覚えました。学校でも習いました。「歌詞が正しいと信じ込(こ)んでいた。疑問を持っても、口に出せば『非国民』としかられる、とんでもない時代だった」。しかし、手でリズムを取る姿は懐(なつ)かしそうです。歌のような感覚的なものは、体に染み付きやすいのかもしれません。

 西村さんは爆心地から1・7キロで被爆し、大やけどを負いました。国民学校のとき担任だった女性の先生が家を訪れました。あまりの激痛に「死にたい」と訴えると平手打ちされ、「死んだ人に代わって、生きて何ができるか考えて」と励(はげ)まされたそうです。

 命を大切にする先生から生きる力をもらいました。「戦争で死ぬことが正しいとされた昭和の日本は、間違った道を歩んだ。若い人に知ってほしい」と西村さんは話します。

 戦場や原爆、空襲(くうしゅう)だけが戦争ではない、と気付かされました。子どもが軍歌を歌わなければならなかった世の中も、戦争の一部です。再びそうなってはいけません。(中2川岸言統)

(2015年9月24日朝刊掲載) 【編集後記】

 当時の児童文学、特に現在でいう童話にあたるものは、高校生である僕から見ても、読むのが難解だと感じました。戦争や軍隊を扱った本の内容に驚いたのはもちろんですが、「戦前の子どもはこんなに複雑な文章を読んでいたのか」ということも初めて知りました。最近の子どもたちは、読書よりも電子画面で遊んでいる時間の方が長いでしょうし、そのせいか難しい漢字を読めなくなっている気がします。現代の子どもたちも、読書の機会を増やすべきだと思いました。(高2谷口信乃)

 戦時中の出版物は戦争一色、というのは私の勝手な思い込みでした。楽しい話題の中に隠れた「戦争」は気付きにくく、混在が当たり前になっていることの怖さを感じました。 出版物などに書かれた言葉の受け取り方も、言葉の発信の仕方も人それぞれ違う、ということを忘れずに記事を書いていきたいです。(高2正出七瀬)

 京都国際マンガミュージアムに初めて訪れ、本棚にずらっと並んだ漫画に圧倒されました。昔の本はそんなにないだろう、と思っていましたが、閲覧させてらっただけでも15冊がきれいに残っているのでさらに驚きしました。今度は家族でミュージアムに行き、いろんな時代のマンガがあることを説明してあげたいです。(中2川岸言統)

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