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ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 ノートルダム清心中高 校庭で武器製造に驚き

 ノートルダム清心中高(広島市西区)の校庭に戦時中、軍需(ぐんじゅ)工場がありました。非常勤講師の小林悟(さとる)さん(67)が確認し、担当する授業で紹介(しょうかい)しています。

 工場は1945年7月、市内から移転、建物3棟(むね)で魚雷(ぎょらい)のスクリューを製造していました。旧制中学の生徒約30人が学徒動員で働き、原爆投下当日も作業していましたが、山陰(やまかげ)だったため犠牲者は出なかったそうです。

 戦後創立された学校の校庭で、かつて兵器が製造されていたことを、小林さんは偶然(ぐうぜん)知りました。5年前、国立広島原爆死没者追悼(しぼつしゃついとう)平和祈念(きねん)館(中区)で見た被爆証言映像の中に出てきたのです。

 小林さんはその人を訪ねて直接話を聞きました。米軍が当時撮(と)った航空写真にある建物と位置関係を照合し、間違いないと確信しました。ただ、近くに長年住む人に尋ねても、知る人はいなかったそうです。

 2011年には「清心と被爆―グラウンドに眠(ねむ)る被爆の真実を探る―」と題した10ページほどの冊子を作製。それを基に毎年、中学3年の公民の授業で生徒に伝えています。「戦争の痕跡(こんせき)を身近に感じ、平和について考えるきっかけにしてほしい」と話します。

 私が体育や部活動でいつも走り回っている校庭が、戦時中は武器を造る場所だったと知り驚(おどろ)きました。今後、平和について考えを深めていきたいです。(中2鬼頭里歩、写真も)

(2015年6月16日朝刊掲載)

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