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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第5号) 3・11から4年 私たちに今できること 向き合い学ぶ 平和につなげる

 東日本大震災(だいしんさい)と東京電力福島第1原発事故から丸4年。津波(つなみ)による無残な傷痕(きずあと)は各地に残り、本格的な復興作業はまだ始まったばかりです。将来が見えないまま避難(ひなん)生活を強いられている人もたくさんいます。

 ジュニアライターたちは、想像もできなかった災害に衝撃(しょうげき)を受け、募金(ぼきん)をし、現地を訪れて取材をするなど、「3・11」をさまざまな形で受け止めてきました。

 災害への関心が次第に薄(うす)れる今、ジュニアライター7人は、生活の場を広島へ移した人たちでつくる「ひろしま避難者の会『アスチカ』」や、現地でのボランティア活動を続けている「南相馬(みなみそうま)ボラバス応援(おうえん)隊」に取材。家族からも話を聞いて、災害から何を学ぶべきか、若い世代として今何ができるか―を、あらためて考えました。見えてきたのは、平和な社会づくりにも通じる、命や人々の絆(きずな)の大切さなどでした。

向き合い学ぶ 平和につなげる

紙上座談会

真実を知ること 戦争や貧困も同じ
岡田実優

南相馬・陸前高田 人々の温かさに触れた
中野萌

行動する大切さ知った
二井谷栞

僕ができること考えたい
岩田央

人命救助の仕事 将来の夢に
平田佳子

大地震に備えたい
山田千秋

ニュース減っても忘れないように
鼻岡寬将

 <3・11>2011年3月11日、東北沖(おき)の太平洋でマグニチュード9.0の巨大(きょだい)地(じ)震(しん)が起こり、大規模な津波(つなみ)が発生して、東北、関東の沿岸部に壊滅的(かいめつてき)な被害(ひがい)をもたらしました。死者と行方不明者は1万8千人を超(こ)えました。さらに、津波によって起きた福島第1原発事故で、周辺の住民が放射性物質から逃(のが)れるため避難(ひなん)を強(し)いられ、今も多くの人々が避難生活を続けています。(中3山田千秋)

 ―3・11の時、何を感じましたか。
 平田佳子(中1) 津波(つなみ)をテレビで見て、自然災害の恐(おそ)ろしさを感じました。

 岡田実優(中2) 家をのみ込(こ)んでいく波に驚(おどろ)きました。何が起きているのかよくわかりませんでした。

 二井谷栞(高1) テレビ番組が全て被災(ひさい)地の中継(ちゅうけい)になるなどの異常な状態に、日本は立ち直れないのでは―と思いました。

 岩田央(中2) 当時は被災地の人は大変だなと考えた程度でした。

 ―その後、3・11に関わった人はいますか。
 岩田 義援金(ぎえんきん)などで間接的に支援(しえん)をしただけです。

 鼻岡寬将(中1) 僕(ぼく)も、少しでも被災した人の役に立てばと、募金箱にお金を入れました。

 中野萌(高1) 2013年にジュニアライターとして福島県南相馬市(みなみそうまし)を訪れ、翌年は別のスタディーツアーで岩手県陸前高田市(りくぜんたかたし)に行きました。

 ―何を感じましたか。
 中野 静まり返った街は鳥肌(とりはだ)がたつようでした。しかしその中で復興に向けて歩む人々は私たちにも温かく、逆に元気をもらったような気がしました。地域のつながりの深さが復興に向けてポイントになっているのだと気が付きました。

 山田千秋(中3) 父は勤めている会社の工場が東北にあったことから、何かしなければ―と、震災(しんさい)後、宮城県南三陸町(みなみさんりくちょう)を訪れました。でも、一人でできることは小さく、自分が来て良かったのかと思い悩んだこともあったそうです。

 ―「ひろしま避難(ひなん)者の会『アスチカ』」と「南相馬ボラバス応援(おうえん)隊」を取材しどう思いましたか。
 岡田 命の大切さをあらためて感じました。被爆者のお話を聞いた時と同じです。

 中野 人々に寄(よ)り添(そ)うことが大切だと思いました。一緒になって真剣に向き合うことが人としても必要だと。それは、平和な社会を築くことにもつながるのではないでしょうか。

 二井谷 アスチカからは相手の気持ちに寄り添うこと、ボラバス応援隊からは行動することの大切さを学びました。

 岩田 アスチカを取材し、被災当時のことや、まだ先が見えないことを聞いて、大変な思いをしておられるのがわかりました。

 ―今、私たちは3・11をどのように受け止め、これから何ができるか―について話してください。
 岡田 真実を知るということ、学ぶということの大切さが分かりました。それは戦争や貧困、虐殺(ぎゃくさつ)でも同じだと思います。

 中野 私たちにできることを考え、友達と共有することが大切だと思います。現在、私は報告会や展示をしているので、災害の経験を風化させないためにも、これから同級生を巻(ま)き込んで何らかのアクションを起こしていくつもりです。

 岩田 これからは被災した人のために僕ができることを考えたいと思います。

 鼻岡 ニュースの回数が減るなど忘れられそうなので、被災者に何ができるか考え続けていきたいです。

 山田 私は父の話をもっと早く聞けばよかったと後悔(こうかい)しています。今回聞いたことを生かして、予期せぬ大地震(じしん)などについて考え続けていきたいと思います。

 平田 私が関われることを考え、将来、人命救助の仕事がしたいと思うようになりました。

「先入観持たないで」 ひろしま避難者の会「アスチカ」代表の三浦さん

 「ひろしま避難(ひなん)者の会『アスチカ』」は、東日本大震災(だいしんさい)や原発事故から広島へ避難して来た人が、広島で生活の基(き)盤(ばん)を整えたり、同じ思いの仲間を見つけたりして新たなステップに踏み出すのを支援(しえん)する団体です。明日へ進む力という言葉が団体名の由来です。

 会員は約120世帯、約340人。岩手、宮城、福島県や関東からも避難して来られました。広島市西区三篠町2丁目のコミュニティースペース「たねまく広場」には、会員だけでなく支援者や地域の人が気軽に立ち寄ることができます。

 福島県いわき市から避難してきた代表の三浦綾さん(42)は、「今、私たちが平和に暮らしていることは、決して当たり前のことではない」と言われました。そして、私たちの世代へ「先入観なしでものを見る」「困っている人に手を差(さ)し伸(の)べる」「命を大切にする」ことなどを強調されました。(中2岡田実優)

「心に寄り添いたい」 南相馬ボラバス応援隊代表の永中さん

 「南相馬(みなみそうま)ボラバス応援(おうえん)隊」は、ボランティアたちが広島からバスを借り切って福島県南相馬市の仮設住宅などを訪れ、お茶会サロンを開いています。福島原発から約20キロ。近くには立ち入り制限区域があります。サロンではお好み焼きを焼いて食べてもらったり、特技を生かしたお楽しみコーナーを設けたりして被災(ひさい)者と交流を深めています。

 会員は約40人。これまで20回訪れたほか、被災者を広島に招いて体験を伝えてもらう取り組みもしています。

 代表の永中憲成さん(65)は「単に喜んでもらうだけではなく、本当に相手の心に寄(よ)り添(そ)うためにはどうしたらよいか、と常に考えてきた」と言います。そして「自分自身に目を向けることの大切さに気がつき、それを若い世代にも知ってほしい」と話しています。これは小さなことだけど、平和への大切な一歩だと私は思います。(高1中野萌、写真も)

(2015年3月12日朝刊掲載)

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校3年までの44人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

【編集後記】

 私は、取材という形で東北と関わらなければ、震災は他人事だったと思います。時間が過ぎていくとともに震災の記憶が風化され、忘れかけている人も多いようです。私は、紙面を通して、人々に東日本大震災へ目を向けていただくきっかけを作っていきたいです。(中野萌)

 取材を通して、問題は山積みだということがわかりました。特に人の心の傷が癒されるにはまだまだ時間がかかりそうです。私には何が出来るのか、被災者の心にどう寄り添っていくのか、これから考えます。(二井谷栞)

 私は、今回の取材を通して、3.11について今まで知らなかったことを知ることができました。避難してきた経緯も、人それぞれであることが分かりました。これからは、三浦綾さんが言われたように、先入観を持たずに話を聞いたり、命や、一瞬一瞬の時間を大切にしたりしていきたいと思いました。(岡田実優)

 チームとしての初めての活動でした。僕は「3・11」の時は低学年だったので、ボランティアなど直接の援助活動は思いつきませんでした。でも、復興はまだ終わっていないので、これから出来ることをみんなで考えていきたいです。(鼻岡寛将)

 僕は実際に被災者の方に会うのは初めてでした。取材させていただいた方は優しそうな方だったけれど、被災当時から大変だったということがわかり、辛くても一生懸命頑張ってこられたことがしみじみと伝わってきました。とても勉強になりました。(岩田央)

 今回、ボランティア活動をした父から話を聞いて、私ももっと積極的に活動していかなければ、と思いました。私自身、ジュニアライターを志願したのは、今まで知ることができる立場にありながら知ろうとしなかった東日本大震災のことを知るためでもあります。これから、もっとそのような話を聞いて、次のアクションにつながっていけばいいなと思います。(山田千秋)

 被災地を訪れた方や、被災して避難してきた方を取材して、被災地では少しずつ笑顔が戻ってはいるけれど、まだ、家に帰ることができない人もたくさんいて、普通の生活にはほど遠い状況であるのを知りました。私たちが過ごしている普段の生活が当たり前ではないのだと思うようになりました。(平田佳子)

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