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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第35号) 被爆地学ぶティーンの夏 

 被爆71年の夏を迎(むか)えた広島。ことしも国内外から多くの人が訪れています。そんな中、県外から来た10代が、ヒロシマをどう感じ、何を伝えようとしているのか―。今月上旬(じょうじゅん)に2団体の若者に、意見交換(こうかん)やアンケートを通して取材しました。

 1団体は、福島県内4高校の新聞部員8人。一緒に原爆資料館(広島市中区)や平和記念公園(同)を巡(めぐ)り、被爆者の話を聞き、原爆と原発事故について「継承(けいしょう)」をテーマに思いを語り合いました。もう1団体は「子ども平和会議」(日本生活協同組合連合会など主催(しゅさい))に集まった、北海道から大分県までの小学生から大学生。ジュニアライター12人も加わり計121人が、地元の戦争について学んだことを紹介(しょうかい)し、「私たちができること」について議論しました。

 意見を交わし、考えを出し合えば思いは深まります。ヒロシマをフクシマを、そして各地の戦争の歴史を心に刻み、伝えていきます。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの39人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

平和への思いつなぐ

福島4高校新聞部

 福島県の安積(あさか)(郡山市)郡山東(同)相馬(相馬市)福島(福島市)4高校の新聞部員8人と、高校生ジュニアライター12人が、原爆資料館の見学や被爆者の話を聴講(ちょうこう)。被爆地広島、福島第1原発事故の被災地福島について語り合いました。

 4班に分かれて意見交換(こうかん)するとともに、16歳で被爆した掛井(かけい)千幸さん(87)=東広島市=の体験談を一緒(いっしょ)に聞きました。

 意見交換では、5年前の震災(しんさい)と原発事故について聞きました。郡山東高2年の滝田彩泉(あやみ)さん(17)は当時小学5年生。事の重大さを理解できず、毎日首から放射線計測器を下げ、結果と1日の過ごし方を記録するのが面倒(めんどう)だったそうです。

 相馬高のグラウンドには、除染(じょせん)時に出た汚染(おせん)土が埋(う)められています。部活動に使われていますが、同高2年の大谷亘(おおがい・わたる)さん(16)は「普段(ふだん)は意識していない」と言います。安積高1年の服部嵩大(たかひろ)さん(15)は、私たちに対して「地震や原発事故など予期せぬ事態が起きても、ひるまずに立ち向かって」と訴えていました。

 掛井さんは、今は平和記念公園になっている天神町の自宅で両親を亡くしました。両親だけでなく家も突然奪(とつぜんうば)われ、親戚の家に身を寄せました。

 「福島では今も家に帰れない人がいる」と郡山東高2年の山下真季さん(16)が指摘。掛井さんは「広島では、自分たちで小屋を建て、豊かになるにつれて徐々(じょじょ)に住みやすくしていった。仮設住宅で不具合や不自由を感じる人は、奮起して自分の家を持つ意気込(いきご)みを持ってほしい」と答えていました。

 福島高2年の平野叶大(かなた)さん(16)による「これからも平和な状態を維持(いじ)するには」の質問には、「18歳に下がった選挙権を生かして政府に訴(うった)えてほしい。戦争では私たちの意見が取り入れられなかったから」と呼(よ)び掛(か)けていました。

フクシマの記憶継承へ 決意新た

町の復興 市民の力が不可欠

原爆ドーム 訪問者多く驚いた

郡山東高2年滝田彩泉さん(17)
 福島では原発事故を過去の出来事と捉(とら)える人が多い。が、広島では71年間継承されている。原発事故で自宅に帰れない人らに聞き取りしたい。

福島高2年樅山瑞歩(もみやま・みずほ)さん(17)
 放射能と隣(とな)り合(あ)わせで暮らすことが日常となり、話題にもならない。もっと太平洋岸の「浜通(はまどお)り」の人々に直接話を聞く機会を増やしたい。

相馬高2年大谷亘さん(16)
 平和記念公園で被爆アオギリを見学している認定こども園の園児がいた。広島市民の平和に対する意識の高さを知った。 相馬高2年和田山きらりさん(17)  原爆資料館に原寸大の原爆模型があった。そばには被爆直後の広島のパノラマ。小さな原爆が街を破壊(はかい)したことをより実感した。

福島高2年平野叶大さん(16)
 広島は政府の力で復興したと思っていたが、市民の力が不可欠だったと気付いた。自分たちも行政に頼(たよ)らず、市民が何とかしようとする考え方に変えたい。

郡山東高2年山下真季さん(16)
 掛井さんたち広島の人が体験したことは、私たちが想像できないほど悲惨(ひさん)なものだった。

安積高2年高橋花奈(かな)さん(16)
 71年たっても原爆ドームを訪れる人が多くて驚(おどろ)いた。震災で被害を受けた地域の人にしか分からないことを取材したい。

安積高1年服部嵩大さん(15)
 原爆資料館を見学して、体験していない人にも継承することが大事だと思った。

今できることに全力

子ども平和会議

 小学生から高校生が、おおむね学年ごとに5~7人で17班になり、大学生らの進行で「核兵器や戦争など争いごとをなくすために私たちができること」を話し合いました。その後、内容を発表し、全体でアピール文を作りました。

 小学生の班は「相手の意見を認める」「自分がされて嫌(いや)なことをしない」「自分が間違(まちが)っていたら謝る」「困っている人を助ける」などと発表しました。中学生は「いじめを減らす」「地球温暖化をなくす」「戦争に関する資料を大切に保管する」「選挙に行く」と提案。高校生は「戦争の歴史について被害、加害両面を学ぶ」「無関心でいない」「会議や会員制交流サイト(SNS)で発信する」と発言しました。

 これらを基にアピール文を作成。議長を務めたジュニアライターの中学3年川岸言統(ときつな)さん(15)が「いろんな考え方を持つ人やいろいろな国の人とも手をつなぎ合って明るい未来を築けるようにする」と宣言しました。

アピール文はこちら

参加者100人アンケート

 子ども平和会議に参加していた121人のうち100人の10代(小学生47人、中学生32人、高校生20人、大学生1人)が、アンケートに答えてくれました。

ヒロシマ 伝えたい人・内容は?

 両親やきょうだいなど「家族に伝えたい」と68人が答え、次いで友達や学校の人が44人(複数回答)いました。

 伝えたい内容は、半数近くの人が、原爆・戦争の恐(おそ)ろしさや被害(ひがい)、平和の大切さについてでした。「子ども平和会議の内容」も約2割いました。川崎市の小学6年女子は「今平和に暮らしているのは、昔のことがあってこそだということ」と回答。札幌市の高校1年女子は、戦争の恐ろしさに加えて「立ち上がった今のヒロシマのこと」と答えていました。

オバマ米大統領訪問 知ってる?

 オバマ米大統領が広島に来たのを知っている人は95人いました。中学生以上は全員知っていました。

 これから何をしてほしいか、という問いには、「核廃絶の実現」を求める声が全体の約3分の1、34人と最も多く、「広島の出来事や平和の大切さを世界に伝えてほしい」「戦争をなくし、平和な世界の実現」と続きました。中には「もう一度広島に来てほしい」「今度は長崎に」など再び被爆地への訪問を望む声もあり、5月の広島訪問への関心の高さがうかがえました。

 山形県の小学6年男子は「力ずくでどちらが正しいかではなく、話し合いで解決する事が大切」と感想を述べます。

平和学習 お薦めの場所は?

 主に次の場所が、平和学習にお薦(すす)めとして挙がりました。

 【北海道】北海道空襲跡(くうしゅうあと)(札幌市内など)北方領土館(標津(しべつ)町)納沙布(ノサップ)岬(根室市)【東京都】昭和館(千代田区)【神奈川県】横浜外国人墓地(横浜市中区)日本郵船氷川丸(同)川崎市平和館(川崎市中原区)米軍基地(大和(やまと)市、綾瀬(あやせ)市、横須賀(よこすか)市、相模原市など)【愛知県】こども未来館(豊橋市)【岡山県】岡山シティミュージアム(岡山市北区)【広島県】原爆ドーム(広島市中区)平和記念公園(同)原爆資料館(同)広島大本営跡(同)【山口県】回天記念館(周南市)陸奥(むつ)記念館(周防大島町)【大分県】城井(じょうい)1号掩体壕(えんたいごう)(宇佐市)【長崎県】原爆資料館(長崎市)平和公園(同)如己堂(にょこどう)(同)被爆クスノキ(山王神社、長崎市)一本柱鳥居(同)

 第35号は、高3谷口信乃、岩田壮、岡田春海、鼻岡舞子、福嶋華奈、高2坪木茉里佳、溝上希、山田千秋、高1岡田実優、中川碧、岩田央、上長者春一、沖野加奈、中3川岸言統、鬼頭里歩、溝上藍、プリマス杏奈、中2川岸言織、佐藤茜、中1森本柚衣が担当しました。

(2016年8月18日朝刊掲載)

 福島の高校生との意見交換で、放射性廃棄物がいまだに大量に残され、行く場所もなく放置されている現実を知りました。改善のためにできることがあればやりたいです(岩田壮)

 今回、福島の高校生との交流で、私はヒロシマのことを伝え、同時にテレビでしか見たことのない福島の現状について教えてもらいました。質問をすれば普通に答えてくれましたが、大きな震災を経験したことのない私からしたら想像を絶する話でした。しかし体験談と同じくらい衝撃的だったのが、震災から5年しかたっていないにもかかわらず、その記憶が薄れてきているということです。そのことを同世代から聞くことで、震災や原発事故の記憶の継承は日本全体で取り組んでいくべきだと感じました。(岡田春)

 原爆資料館で福島の高校生たちが多くの写真を撮っている姿が印象に残りました。メモ係と写真係を分けている姿はジュニアライターに共通したものを感じましたが、彼らの方がよりプロのように見え、対抗意識が湧きあがりました。(谷口)

 福島の高校生の「物資の手助けもありがたいが、交流をもっとしてほしい。」という言葉が強く心に残っています。これからも交流を続けて、自分たちの記憶を未来につなげていきたいです。(鼻岡)

 福島の高校の人と平和記念公園を見て回った時に、以前に「ジュニアライターこの一作」を書くにあたって調べていた供養塔のことが役に立ったのでうれしかったです。これからも今までに学んだ知識をたくさんの人に伝えられるように頑張りたいです。(福嶋)

 ことし2月、私はピースシーズの取材として福島に行きました。久しぶりに会った皆さんとは緊張することもなく、また出会えたことがとてもうれしくて会話が弾みました。以前、福島に行った時、フクシマとヒロシマの「放射能被害という見えない恐ろしさ」という共通点を見つけましたが、なぜフクシマは風化が進み、ヒロシマは71年も受け継がれてきたのか、はっきりとした答えは見つかりませんでした。今回の交流では、福島の高校生にたくさんの話を聞くことで、フクシマの問題は彼女らの生活と隣り合わせでいることがあらためて分かり、また、実際に被害にあった浜通りの人々にあまり話を聞く機会がないことも分かりました。ヒロシマでは、今、被爆者の方々の話を聞くことができます。直接聞き、知ることの重要さに気付かされた2日間でした。(溝上希)

 福島の高校生と交流をして、初めて福島の生の声を聞けたような気がしました。私はこれまで福島のことをどこか人ごとのように思っていた節がありましたが、福島の人と交流をして私に関係のないことではないと分かりました。常に福島で目に入る、汚染された土が入った黒いごみ袋は、福島だけでなくて日本国民全員が考えなくてはいけない問題だと感じました。(山田)

 相馬高の大谷君はすごくよくしゃべる人で、僕らが聞いてないことも話してくれました。交流の時も福島のことをたくさん話してくれて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。今回の取材はいろんな意味で楽しかったです。(岩田央)

 被爆証言を聞いた時、福島の高校生が、福島第1原発事故の影響と関連付けて質問をしていたので、二つのことをつなげ、考えることができました。これからも、各地域の高校生と交流を続けていきたいです。(岡田実)

 2日間、福島の高校生と交流しました。同じ福島県内でも、深刻な被害を受けている地域とそうでない地域があることに驚きました。今回の交流で、たくさんある情報を自分で判断することの大切さを痛感しました。(上長者)

 3月に掲載したピース・シーズの取材で福島に行ったので、今回、会うのが2回目の人もいました。前回は、私が福島について教えてもらって、今回は、私が広島を紹介する立場だったので少し緊張しましたが、とても充実した時間を過ごせました。また、いろんな地域の人と交流する機会があればいいなと思います。(中川)

 子ども平和会議では、小学生の班で進行役をしました。それぞれ自分の地域で学んだことを一生懸命に伝えてくれてうれしかったです。また、会議の初めに、もみじまんじゅうやお好み焼きの食べ物リポートをするなど、緊張をほぐしながら楽しく進める事ができました。(沖野)

 子ども平和会議での同世代の人との意見交換はとても新鮮でした。同じ意見もあれば、自分には思いつかないような意見もあって面白かったです。これからの活動は、学ぶと同時に、意見を話したり聞いたりするのを積極的にしたいです。(川岸統)

 子ども平和会議で県外の子たちと、それぞれが地域で学んできた戦争の歴史を共有でき、とても勉強になりました。また、改めて広島に住む私たちは、平和学習をする機会にとても望まれているなと感じました。(鬼頭)

 意見を交換する大切さがよく分かりました。他の人から違う意見を聞くことで、自分の考えを深めることができたのでよかったです。これからは平和について勉強するだけでなく、普段から身近な人と議論し、学びたいです。(溝上藍)

 同世代の人との意見交流の中、大人とは違ういろんな視点からの意見が出ていました。それらはとても新鮮で、新しい観点から考えを見いだす事ができました。今回学んだ事を今後のジュニアライターの活動にもしっかり用いていきたいです。(プリマス)

 子ども平和会議で1番驚いたのは、グループのメンバーが、神奈川県から来た人がほとんどだったことです。休憩時間の時、私のグループで進行係をしていた大学生とジュニアライターの先輩と芸能人の話などをしてとても盛り上がりました。またいつか参加したいです。(川岸織)

 子ども平和会議のグループ討議の班は、広島以外に北海道、神奈川、兵庫、そして長崎からの参加者がいました。昼食の時、自分の住んでいる地域の方言や食べ物の話で盛り上がりました。平和についての話はもちろん、地域の特色も交流できて、あまり硬くならず楽しめました。また来年も参加したいです。(佐藤)

 子ども平和会議には、北海道から大分県までのたくさんの若者が集まりました。私のグループは宮城、神奈川、兵庫、広島の中学生7人でした。議題は「戦争はなぜ起きるのか」で、私のグループでは「小さな争いから、大きな戦争になる」という意見が多く出ました。けんかやいじめや差別などの身近な争いは戦争につながってしまうかもしれないので、絶対にしてはいけないと思いました。またグループ別の話し合いだけではなく、午後の虹のステージでも他の県の代表の意見を聞く事ができたので良かったです。(森本柚)

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