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ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 日系2世の被爆者 更科さんの証言聞く

核への警告受け止めた

 米国カリフォルニア州に住む日系2世の被爆者、更科洵爾(さらしな・じゅんじ)さん(88)が広島市を訪れ、バスケットボールの親善試合のため来日した10代の日系米国人4世や広島市内の中学生たちに被爆体験と核兵器廃絶(はいぜつ)への思いを語りました。(高2松崎成穂)

 72年前の8月6日の朝、更科さんは旧制広島一中(現・国泰寺(こくたいじ)高)3年で、軍需工場に動員されていたそうです。強烈(きょうれつ)な光を突然(とつぜん)浴び、気付いた時にはガラスの破片や砂に覆(おお)われて倒(たお)れていました。

 その日は火の手に阻(はば)まれて学校に戻(もど)れず、翌朝になって市中心部に向かいました。数え切れないほどの死体が、川に浮(う)き、道路にも横たわっていました。「生きた人よりも死体を見るのが当たり前だった。黒焦(こ)げの赤ちゃんを抱くお母さんの姿が目に焼き付いている」といいます。想像するには、あまりに悲惨な光景です。

 「学校にたどり着くと、校舎は焼けてぺしゃんこ。プールに浮いた同級生を引き揚げたら皮膚(ひふ)だけ抜けた」。一中では、爆心地(ばくしんち)の近くに動員された下級生や先生たち369人が亡くなりました。「それでも、いまや原爆の威力(いりょく)は赤ちゃんのようなもの。今、核兵器が使われたら被害(ひがい)は人類全体に及ぶ。決してあってはならない」という警告には実感がこもっていました。

 更科さんはバスケット選手の孫たちと一緒に来日しました。証言会は原爆資料館(中区)であり、地元住民でつくる「本川おもてなし隊」(田中八重子会長)が主催(しゅさい)。プロチーム「広島ドラゴンフライズ」の関係者もおり、アシスタントコーチのタナー・マセーさんが日系人選手たちに「平和だからスポーツができる」と感想を語ったのが印象的でした。更科さんの思いを若い日系人が引(ひ)き継(つ)ぎ、スポーツを通じた日米の平和の懸け橋になってもらいたいです。

 米国で平和活動をしており、7月に米国広島・長崎原爆被爆者協会の会長に就任したという更科さん。原爆を落とした米国で体験を語るのは勇気がいるでしょうが、とても貴重です。厚生労働省によると3209人の被爆者が海外にいます。いろんな国の人たちが現地に住む被爆者の体験を聞く機会も増えてほしい、とも思いました。

(2017年8月21日朝刊掲載)

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