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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 惨禍乗り越えた被爆楽器

 原爆被害を乗り越(こ)えた「被爆(ひばく)楽器」を演奏する動きが国内外で広がっています。中国新聞ジュニアライターは、ピアノとバイオリンのかつての持ち主の被爆体験や、保存(ほぞん)・演奏(えんそう)活動をしている人たちの平和への思いを取材しました。ゴールデンウイークにあった2019ひろしまフラワーフェスティバル(FF)のステージで取材の成果を発表し、事前に録音した被爆ピアノの伴奏(ばんそう)に合わせて平和の歌を合唱しました。

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知る

ピアノの傷 被害物語る

国内外巡り平和訴え

 爆心地(ばくしんち)から約3キロ圏内(けんない)で原爆の爆風(ばくふう)や熱線、放射線(ほうしゃせん)を受けたピアノは「被爆ピアノ」と呼ばれます。側面には、ガラスの破片(はへん)が突(つ)き刺(さ)さってできた傷(きず)や、爆風によってできたとみられるへこみがあり、原爆被害の大きさを物語っています。

 広島市安佐南区の調律師(ちょうりつし)矢川光則さん(67)は、2001年から被爆ピアノを修復してコンサート活動を続けています。現在、6台を所有。工房(こうぼう)でピアノを見せてもらいました。

 活動を始めたのは、被爆者からピアノ修理を依頼(いらい)されたのがきっかけでした。壮絶(そうぜつ)な被爆体験を聞き、平和のために自分に何ができるのか考えたといいます。

 被爆ピアノの修理は最低限にとどめ、側面の傷などもできるだけ残しています。「無数の傷は原爆の恐(おそ)ろしさを伝える力を持っている」と考えるからです。

 被爆ピアノを積んだトラックを運転して日本各地を回り、年間約180回の演奏会を開いています。17年12月、非政府組織(NGO)「核兵器廃絶(はいぜつ)国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))がノーべル平和賞を受賞した時にノルウェー・オスロで開かれた記念コンサートでは、世界的に有名なピアニストが演奏し、音色が世界に響(ひび)き渡(わた)りました。

 一般社団法人「HOPEプロジェクト」代表の二口とみゑさん(70)=佐伯区=も、被爆ピアノを通じて平和の尊(とうと)さを発信しています。19歳で被爆死した河本明子さん愛用のピアノを譲(ゆず)り受け、市内の小学校などで「明子さんのピアノ」の演奏会を開いています。

 河本さんは、爆心地から約1キロの中区で建物疎開(そかい)作業中に被爆し、翌日亡(な)くなりました。ピアノは爆心地から2・5キロの自宅にあったものです。「大好きだったピアノを再び弾(ひ)くことができなかった明子さんの悲しみを伝えたい」と二口さんは言います。

奏でる

FFでステージ発表「温かい気持ちになる音」

 「被爆楽器」について取材した私たちジュニアライターは4日、FFのステージに登場しました。パネルを作り、知ったり感じたりしたことを発表するとともに、被爆ピアノに合わせて平和の歌も披露(ひろう)しました。

 重いピアノをFFの会場に運ぶのは難(むずか)しいため、安佐北区のピアノ工房で保管されている「明子さんのピアノ」を中3の林田愛由さん(14)が事前に弾き「アオギリのうた」と「折り鶴」を録音しました。約100年前に造られた米国製です。

 本番では、ジュニアライター約20人が録音に合わせて合唱を披露しました。多くの来場者が聞いてくれました。林田さんは「被爆で傷ついているのに、とても温かい気持ちになるような音が出た。明子さんのピアノに対する愛を指先から感じた」と話しました。

 被爆楽器は、元の持ち主の楽しい思い出とともに、原爆の悲惨(ひさん)さも伝えます。

音楽教師のバイオリン 露出身 広島女学院が所蔵

 広島女学院大(広島市東区)にある歴史資料館に、被爆したバイオリンが展示(てんじ)されています。ロシア出身のセルゲイ・パルチコフさんが愛用していました。

 パルチコフさんは、ロシア革命(かくめい)を逃(のが)れて1922年に来日。広島女学校(現広島女学院中・高)で音楽教師を務めました。当時、学校で演奏会を開いたり、学生とオーケストラを結成したりして、市民の注目を集めていたそうです。

 爆心地から2・5キロの自宅で、バイオリンとともに被爆しました。パルチコフさんが亡くなった69年以降も、家族が被爆時に壊れたバイオリンを大切に保管していました。86年に学校法人広島女学院へ寄贈(きぞう)され、修理も行われました。

 パルチコフさんの被爆体験記は、何も残っていません。バイオリンはパルチコフさんが伝えたかったであろう思いを、伸びやかな音色で発信しています。

 このバイオリンと「明子さんのピアノ」は8月、NGOピースボート(東京)の客船に積み込まれ、船内で演奏されます。船は日本国内と韓国、ロシアを巡ります。乗船者が核廃絶や平和について考える機会になってほしいです。

(2019年5月13日朝刊掲載)

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