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核なき世界への鍵

[核なき世界への鍵 禁止条約に思う] 元広島市長 平岡敬さん

人類が生き延びる希望

 非人道的な核兵器の使用は、許されない。広島がこう道徳的に言ってきたことを核兵器禁止条約は法的に確定させる。国際司法裁判所(ICJ)は1996年の勧告的意見で、核兵器の使用・威嚇を一般的に国際法違反としたが、国家存亡の時では判断できないとしていた。今回の条約は、いかなる使用も威嚇も禁じ、「抜け道」を閉ざす。非常に画期的だ。

 核戦争に勝者も敗者もなく、人類の文明を滅ぼすことは今や世界の常識だ。なのに核拡散防止条約(NPT)体制は軍縮の義務が果たされず、逆に核大国が保有を続ける言い訳のようになっている。拡散も止まらない。そんな中、禁止条約は人類が生き延びるための一つの希望ではないか。

  ≪市長在任時、原爆の日に平和記念式典で読み上げる平和宣言で、「核兵器使用禁止条約」の締結を訴えた。政府に米国の「核の傘」からの脱却も求めた。≫

 状況次第では使うという前提で相手国を脅す核の傘にしがみつくのは、時代遅れだ。「核抑止力が平和を保ってきた」と言いながら、米国は戦争を繰り返してきた。北朝鮮の問題をみても、核兵器は平和へ何も生み出さず、むしろ危険を高めている。

 被爆国の政府は、自ら禁止条約に加盟して保有国を引き込むのが当然の役割だ。しかし、その意思を見せないどころか、今の政策も支離滅裂。例えば、NPT非加盟で核兵器を持つインドへの原発輸出を可能にする日印原子力協定の締結がある。政府は、重要というNPTの形骸化を自ら進めている。

 ≪被爆者の平均年齢は、80歳超。被爆地広島からの訴えは、岐路に立つ。≫

 原爆投下は、間違っている。だから、人類のために廃絶を言う。それが広島の訴えの柱だ。正しかったと認めるなら、自国の兵士の命を救うためなどとした当時の米国と同じ理屈でまた使われかねない。それだけに、米国のオバマ前大統領が広島を訪れた時、首長たちが謝罪は不要と発したのは、訴えの存立を揺るがしたと考えている。

 いま一度、無残に殺された死者の声、被爆者の苦難の記憶に向き合うべきだ。さらに、核兵器廃絶の先に目指す社会の理想像を示す必要がある。それを十分に示してこなかったのが、広島の平和の訴えの弱点。差別、貧困、人権侵害などがあっては平和ではない。

 戦争しないと定め、文化、人権を尊重する憲法の国家像がその理想だと考える。こういう世界をつくろう、邪魔になるのが核兵器じゃないか―。核兵器廃絶の訴えと結び付いて世界の人たちの共感を呼ぶだろう。(聞き手は水川恭輔)

ひらおか・たかし
 1927年、大阪市生まれ。中国新聞社編集局長、中国放送社長などを経て91年から広島市長を2期8年務めた。95年にオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で陳述し、原爆被害の非人道性から核兵器使用を国際法違反と訴えた。

(2017年10月2日朝刊掲載)

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