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核なき世界への鍵

[核なき世界への鍵] 式典や追悼式の参加者に聞く

今こそ行動を

 広島は6日、国連で核兵器禁止条約が制定されて初の原爆の日を迎えた。禁止条約に対し、非保有国の多くが賛同する一方、保有国は核抑止力を理由に反発し、米国の「核の傘」の下にいる日本政府も反対姿勢だ。核兵器の悲惨さを身をもって知る被爆者が老いを深める中、さまざまな扉をこじ開け「核兵器なき世界」へ進むための鍵は何か。平和記念式典や追悼式の会場で参加者たちに聞いた。

日本 責任果たして/勇気持ち事実発信/原爆の脅威伝える

保有国 広島訪問を/惨状 アニメで訴え/体験の継承進めて

韓国原爆被害者協会名誉会長 郭貴勲(カク・キフン)さん(93)=韓国京畿道

 核兵器禁止条約の内容は素晴らしいが、保有国が賛同しなければ意味はない。交渉にさえ参加しなかった日本政府の対応は非常識。先頭に立ち、全世界に参加を呼び掛けるべきだ。

 5日、広島の集会で被爆体験や、健康管理手当を長い間受けられなかった在外被爆者の苦悩を語った。70、80年もたてば、多くが忘れ去られるのが歴史の歩み。ただ、核による惨劇は絶対に忘れてはならない。アジアはいつ戦争が起きてもおかしくない。人類を滅亡させる核が使われないため、日本は今こそ責任を果たさなければならない。

沖縄県の遺族代表 新垣和子さん(88)=那覇市

 爆心地から約1・5キロで母と被爆した。肉が飛び出た遺体や黒い雨。悪夢がよみがえることが怖く、避けてきた広島の地を72年ぶりに踏んだ。平和記念式典に参列した遺族代表では私が最高齢。悪夢が現実だったと強く実感し、体が動くうちに後世に伝えなければいけないと初めて誓った。

 昨夏のオバマ前米大統領の広島訪問に涙が止まらなかった。米国にも被爆者に寄り添う人がいると。まず、私のように語ってこなかった被爆者が勇気を持ち事実を発信することが大切だ。沖縄の語り部となり、子どもたちに伝えたい。

フラワーデザイナー 花千代さん(54)=東京都品川区

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に「生命の希望の光」をイメージしたヒマワリの作品を置いた。多くの犠牲者が出たこの地で命の重さを訴えたかった。今後も多彩なアーティストと連携し、核廃絶を訴える作品展示を検討したい。

 唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約に批准しない日本政府。それでいいのかどうか。国や自身の安全を考えることは、自分の人生を自分で決めることでもある。選挙の投票行動などで一人一人が意思を示し、政府を動かさなければいけない。核廃絶もその先にあるのではないか。

広島大3年 山田菜央さん(21)=広島市南区

 広島の元安川や似島で瓦片や砂利を採取する広島大の活動に携わっている。平和を訴える遺物として全国や世界各国に贈っている。6日は元安川の砂利で作ったハトのオブジェが東千田キャンパスで除幕された。想像力をかき立て、原爆や戦争について少しでも考える契機になってほしい。

 核なき世界に向け、若い一学生ができることは何か。小さないさかいも暴力的に考えず、平和的に解決することだと思う。現在のの活動が原爆の脅威を国内外に伝え、幅広い世代によい影響を与えられると信じている。

基町高2年 桐林勲さん(16)=廿日市市

 高齢化する被爆者。核兵器廃絶に向け、若い僕たちには「あの日」の惨状を伝える責任がある。被爆者から聞いた悲惨な体験を、芸術に変えて広く伝えたい。

 縁側の下で眠る猫、花に止まるチョウ…。原爆で奪われたのは人命だけではない。創造表現コースの仲間6人と、被爆詩人の栗原貞子の作品をモチーフにしたアニメを上映した。一瞬で消えた日常や隠れた原爆の被害を表現したかった。

 アニメや絵は悲惨さを視覚に訴えやすく、若い人にも興味を持ってもらえる。今後もたくさんの人に訴えかける作品を作りたい。

スペインの高校教師 カルロス・ミニューチンさん(31)

 世界で戦争やテロが続き、国家間で核兵器廃絶を目指しても実現できていない。今こそ、市民一人一人のアプローチを積み重ねることが世界を変える力になると信じている。廃絶への取り組みを一層進めていこうと訴えた広島の思いを、私の教え子と共有したい。

 核兵器禁止条約の制定は市長の平和宣言で知った。宣言を翻訳し、原爆資料館で撮影した被爆の惨状の写真と併せ、丁寧に伝える。生徒や家族たち身近な人と過去の戦争を振り返り、できることから未来に向けた具体的なアクションを起こすことが必要だ。

会社員 田淵肇さん(57)=大分市

 市民レベルの活動と被爆体験の継承をさらに進めてほしい。平和記念公園であった被爆体験記の朗読会に初めて参加したが、想像を超える辛苦が胸に迫った。被爆者本人からではなくても、事実を聞くことで心を揺さぶられ、核廃絶への思いを強くした人も多いのではないか。

 核兵器禁止条約の採択は市民による署名活動の成果だ。核の危険性を認識しながらも、行動に至っていない人もいるはず。被爆体験を広く伝えることが、一人一人が声を上げ、行動することにつながる。私も聞いたことを周囲に伝えたい。

介護士 村上久美子さん(42)=広島市東区

 核保有国の人は一度、広島を訪れてほしい。土の下に、一発の原爆で亡くなった大勢の生活の跡が今も埋まっていることを、身をもって感じてほしいから。

 高校生の時、市外の生徒が広島の原爆について知らないことに驚き、平和の大切さを伝える活動を始めた。今でも折り紙を持ち歩き、時間があれば鶴を折りボランティアを通じて原爆資料館の見学者に渡している。どこかに飾り、ずっと先でもヒロシマを思い出すきっかけにしてほしい。

 私にできることは小さい、と悩むときもあるが、地道に続けることが大事。

会社員 井上雅史さん(34)=広島県海田町

 東京出身で以前は、戦争をどこか人ごとのように受け止めていた。約10年前、結婚と就職を機に広島へ移り、核兵器に対するこの地の特別な思いを知った。

 息子が生まれてからは、平和な国を残さなければと考えるようになった。しかし、政府は核兵器禁止条約の交渉に参加せず、保有国である米国に十分に物も言わない。唯一の被爆国としての役割をどう果たしたいのか、よく分からない。

 保有国と非保有国の橋渡しをする具体的な行動をとるべきだと思う。子どもたちの未来から、同じ悲劇の可能性をなくすためにも。

会社員 萩坂郁美さん(25)=広島市佐伯区

 核兵器廃絶は現実を知ろうとすることから始まる。平和記念式典に初めて参列し、その思いを強くした。

 広島に生まれ、原爆の日に黙とうするが、どこか人ごと。北朝鮮のミサイル発射などの報道で戦争を身近に感じ、広島であったことを理解したくなった。参列はその一歩。想像以上に外国人や若者が集い、式典の意義は大きいと思った。

 若い世代は核兵器に関心が薄い。戦争の当事者になるのを想像したくなくて目を背けている。無関心を捨て、国際情勢や核に対する各国の思いの違いを自分なりに考えていきたい。

(2017年8月7日朝刊掲載)

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