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核なき世界への鍵

元安橋で署名への協力を呼び掛ける高橋さん(左端)たち盈進高の生徒(撮影・今田豊)

 広島市中区薬研堀のバー。安佐南区出身で、広島を拠点に活動するシンガー・ソングライターHIPPY(ヒッピー)さん(36)は9月から、ここで被爆証言会を仲間と開く。肺がんのため3日に37歳で亡くなった冨恵洋次郎さんがかつて店を構え、毎月6日に証言会を開いてきた場所。「やりますと、生前に伝えられなかったのが心残りです」。意思を固めるのに少し時間が必要だった。

亡くなる4日前

 原爆についてバーの客から質問され答えられなかったのをきっかけに、2006年2月に証言会を始めた冨恵さん。亡くなる4日前、HIPPYさんは入院先へ呼ばれた。駆け付けると、病室のベッドの上で酸素吸入をし、苦しそうだった。かすれ声を絞り出して語ったのは証言会のこと。「やってほしい」「趣味程度でいい」と託された。

 しかし、即答できなかった。「広島県外での仕事も多く毎月は手伝えない」。正直、なぜ自分なのか分からなかった。

 知り合ったのは20歳代半ば。ワイルドで飾らず、思ったことを口にし、「かっこいい」と憧れた。常連客になり、冨恵さんが開く証言会が気になって、のぞいてみた。

 被爆者の生の証言を聞き「ヒロシマ」を知らない自分に驚いた。建物疎開作業に動員されて犠牲になった約6千人もの学徒、生き残った者が戦後受けた差別…。何より、心に閉ざしていたはずの記憶を声を振り絞って明かす被爆者の「この話を伝え続けてほしい」との訴えに心を打たれた。

 被爆の悲惨さと、湧き上がる感情を言葉に残そうと、配られたアンケート用紙の裏にメモを取り、持ち帰る自分がいた。「もっと知らなきゃ」と意識を高め、昨年から広島市の「被爆体験伝承者」養成講座を受けている。証言者捜しに苦労する冨恵さんを見て、被爆者のあの日の記憶と平和への思いを伝えられれば、との思いがあった。

 ただ、あくまで「平和に熱くない」と省みる。「ゆるい」性格を生かし、動画投稿サイト「ユーチューブ」でバラエティー企画に挑戦もする。

特別版でライブ

 「そこを洋次郎さんは気に入ってくれたのかも」。平和に関心のなさそうな若者が開くからこそ、敷居を下げ、ネオン街の証言会に引き寄せられる―。冨恵さんが12年に経営する店が火事になっても、病気になっても証言会だけは続けたのは、それだけ被爆者の生き抜いた姿を多くの人に知ってもらいたかったから。自分も被爆体験を聞きたい一人。無理をしない範囲で、願いを紡ごう。訃報に接し、そう決めた。

 伝承者仲間たちと助け合いながら続ける証言会は「僕みたいな人間でもふらっと来られる雰囲気」を目指す。141回目になる8月の証言会は、特別版として5日午後6時半から中区中町のライブジュークで開く。平和記念公園(中区)の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんの兄雅弘さん(76)に話してもらい、自らライブ演奏をする。PRのチラシには「主催者 冨恵洋次郎」と名を入れ、一緒に開くつもりだ。(山本祐司)

(2017年7月29日朝刊掲載)

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