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核なき世界への鍵

核なき世界への鍵 マーシャルの訴え <1> 見えない脅威 実験場跡は生活の糧

 強大な核戦力を手にするため、米国が1946~58年に67回もの核実験をした中部太平洋の国、マーシャル諸島。島民たちは、放射能汚染や強制移住など負の遺産に今なお苦しむ。「核兵器禁止条約」をつくるための多国間の交渉会議が米ニューヨークで3月に始まるのを前に、最多の実験があったエニウェトク環礁を1月に訪ね、核の「非人道性」をみた。(明知隼二)

 「あの辺りがウミガメを追い込んで捕まえるのにいいんだよ」。エニウェトク環礁にある広さ0・37平方キロのルニット島の北端。船で30分かけて漁に来るカニル・ジティアムさん(39)がそばの磯を指さした。

 そこにあるのは円形の岩場。核爆発でできたクレーターである。島の本土はプルトニウムなどの放射性物質による深刻な汚染を理由に無期限封鎖されている。

 米国はこの環礁と近海で住民を強制移住させて計44回の実験をした。帰島先になったのは比較的汚染が少なく、表土を取り除く除染作業をしたエニウェトク島など南部の3島だけ。18回の実験があったルニット島は、米国がコンクリート造りの「ルニットドーム」(直径114メートル)を築いて汚染土などを廃棄し、「最終処分場」と化した。

 学術団体の全米研究評議会は、島の安全性を検証した82年の報告書で「地中のプルトニウムが風雨や波で露出する可能性があり、全土の封鎖継続を強く支持する」と強調している。プルトニウムは放出するアルファ線の強さが半分になるまで2万4千年かかり、計測も困難だ。

 一帯は実験前から豊かな漁場だった。「『毒』のことは知っているけど、暮らしていくにはほかに選択肢がない」。はるばる漁に訪れるのは、ジティアムさんだけではない。

 米軍が実験に使用し、陸や海底の地中に残した銅線類も住民に被曝(ひばく)リスクをもたらしている。掘り出せば売れる貴重な現金収入源。作業中に放射性物質を吸い込むリスクへの意識は薄らぎがちで、採掘者が後を絶たない。

 エニウェトク島に住むカティオス・ケンさん(79)もかつて、ルニット島で採掘をした。「ケーブルを海底や地下から引きずり出すのは、きつい仕事だよ」。買い取り相場は1キロ当たり1・5ドル。中国企業が2000年代、エニウェトク島に唯一の日用品店を開いて金属くずの買い取りを始めてから、広がったという。ルニット島はほぼ掘り尽くされたが、今も居住が禁じられた別の島で採掘が続く。

 「米国はここでの生活は安全だと言うが、信じていいのか」。エニウェトク島に住む小学校教諭サムソン・ヨシタロウさん(66)の頭をよぎるのは、実験で被曝したロンゲラップ環礁の元住民たちの話だ。一度は米国の安全宣言を信じて帰島したが、残留放射線による健康被害が相次ぎ、再び島を離れる決断をした。

 エニウェトク島からも、米ハワイなどに移住する人は少なくないという。「ここに住み続けるべきかどうか、考え続けている。いつかエニウェトク出身の科学者に、事実を明らかにしてほしい」。拭えぬ不安と不信が、島の暮らしに影を落とし続ける。

(2017年2月14日朝刊掲載)

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