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核なき世界への鍵

核なき世界への鍵 現在地 <1> オバマ氏の鶴 被爆地訪問 踏襲願う

 世界100カ国を超える賛同をもって、「核兵器禁止条約」の制定交渉が3月に始まる。保有国による使用を禁じ、廃絶への道筋を定め、核兵器のない世界への扉を開く鍵を確実に人類が手に入れるよう、ヒロシマの声を高める時だ。まずは被爆者や若者のまなざしから現在地をみる。

 厳かな顔つきのオバマ米大統領が芳名録に折り鶴2羽を添えている。原爆資料館(広島市中区)に展示された、「5・27」の館内の様子を伝える1枚の写真パネルを、被爆者の藤井美津江さん(77)=中区=はこの冬初めて見た。「『平和への一歩になったね』と一緒に喜んだんですよ」。孫の中島小6年矢野将惇(まさとし)君(12)がそばに招かれ、オバマ氏から折り鶴を受け取った感動を昨日の出来事のように覚えている。

 核超大国の大統領でありながら「核兵器なき世界」の追求を唱え続けたオバマ氏。被爆地広島はこの8年、軍縮の停滞にいらだちながらも期待してきた。それが最高潮に達したのが、オバマ氏が現職の米国大統領として初めて被爆地を訪れた昨年5月27日だった。

 あれから7カ月余。藤井さんは「孫は一生懸命、勉強している」とほほ笑む。オバマ氏から英語で「勉強頑張って」と声を掛けられたのも効いたようで、原爆関係の本を読み、被爆体験を聞きたがった。次代を担う子どもたちが一層、被爆の悲惨さに目を向けてくれたのがうれしかった。

 でも、その先にあるはずの核兵器のない世界がなかなか見えない。米国が阻んでいるようにさえ映る。「結局、あれも反対だったでしょ」。段階的な核軍縮を主張する米国は、国連で核兵器禁止条約の交渉開始決議案に猛反発。北大西洋条約機構(NATO)諸国にも反対するよう迫った。

 被爆地訪問も、禁止条約も「オバマ新大統領」誕生のころから求めてきた。藤井さんは2008年9月~翌年1月、被爆者103人の一行で非政府組織(NGO)「ピースボート」の船で20カ国を巡った。「あの日」の体験を話し、禁止条約の締結を経て20年までの廃絶を目指す平和首長会議のビジョンを発信した。

 藤井さんも市近郊で見たきのこ雲や、親族を捜す母親に連れられて2日後に入った市中心部で見た黒焦げの死体などの惨状を話した。帰国後、オバマ氏に宛てた手紙を執筆。「広島で被害の実態を見て核兵器の禁止を」と書き、ピースボートを通じて届けた。

 被爆者や市民、政治家たちの呼び掛けが重なり、実現したオバマ氏訪問。期待を高めたが、その後の米国の動きは被爆地の願いとの断絶を浮き彫りにした。そして20日。8年の任期を終えるオバマ氏に代わり、核軍拡をほのめかすトランプ氏が大統領に就任する。

 藤井さんはいま一度、「5・27」の重みをかみしめている。「オバマさんが辞めたら、あの日自体、少しずつ忘れられそうで」

 オバマ氏は資料館で、被爆から10年後に白血病のため12歳で命を絶たれた佐々木禎子さんの折り鶴を見た。各国を禁止条約へ駆り立てる非人道性の証し。自らの折り鶴を孫に渡した振る舞いを藤井さんは「心から」と信じ、退任間近になっても期待する。「トランプさんに『被爆地を必ず訪れるように』と引き継いで」。その積み重ねの先に、核超大国が核兵器禁止の訴えに応える日が来るよう、願う。(水川恭輔)

オバマ米大統領の広島訪問
 オバマ氏は2016年5月27日、広島市中区の平和記念公園を訪問。原爆資料館東館で犠牲者の遺品や佐々木禎子さんの折り鶴を見た。その場に招かれた中島小6年矢野将惇(まさとし)君と吉島中3年花岡佐妃さんに、持ち込んだ折り鶴を1羽ずつ手渡し、芳名録に別の2羽を添えた。その後、原爆慰霊碑に献花し、碑前で演説。原爆ドームを対岸から眺めた。滞在時間は52分だった。

(2017年1月15日朝刊掲載)

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