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連載・特集

平和を奏でる明子さんのピアノ 第3部 協奏曲に乗せて <下> 作曲家 藤倉大

少女の生涯に寄り添う

 「世界中の絶え間ない戦争や紛争によって、今もたくさんの明子さんが生まれている」。広島交響楽団の委嘱でピアノ協奏曲「Akiko’s Piano」を作曲。昨夏の完成までに7カ月を費やした。広島の原爆で19歳で亡くなった河本明子さんや家族が遺した日記、写真など膨大な資料を読み込むうち、少女の人生に広島の惨劇にとどまらない普遍性を見いだしたという。

 英ロンドンを拠点に器楽曲やオペラなど多彩な作品を発表し、「今、世界で最も演奏されている現代作曲家」と称される。多忙なスケジュールを縫って、昨年2月に広島市を訪問した。ロンドンの自宅で創作することもできたが、「どうしても実物に会いたかった」。明子さんの遺品のピアノを修復した調律師の坂井原浩さんの工房に滞在。3日間、早朝から深夜までピアノに向き合った。

「音色」を生かす

 米国で生まれた明子さんと一緒に海を渡り、被爆したピアノ。坂井原さんは修復の際、歴史を刻んだ音色を損なわないよう、弦の交換はあえて最小限にとどめた。古びた鍵盤はきれいな音程の出ない音域もある。ロンドンで作曲してきたカデンツァ(独奏部分)は白紙に戻し、一からやり直すことを決意した。苦労して書き上げ、試奏すると「音色をうまく生かしましたね」。長年、ピアノに寄り添ってきた坂井原さんの言葉が「うれしかった」と振り返る。

 明子さんの資料を読んで重みに圧倒され、たびたび作曲を中断した。自身、ブルガリア人の妻との間に8歳の娘がいる。明子さんの両親の悲しみに心をえぐられたという。8月6日の朝。体調が優れない娘を心配して止める父を押し切って、明子さんは学徒動員先に出かけ被爆。「お父さん、ごめんなさい」と何度も繰り返し、亡くなったと伝わる。両親は亡きがらを自宅の庭で荼毘(だび)に付した。

今も世界で犠牲

 「食事の支度に時間を費やすのが女の仕事なら、何のために生まれてきたのか判らない」と日記に書いた明子さん。当時としては先進的だった女性が、次第に軍国主義に染まっていくのが「悲しくて、恐ろしい」「同時代に生きていたら、自分も飲み込まれていたかもしれない」と実感した。

 明子さんの生涯に深く思いを致したからこそ、「安易な悲しい音楽や平和のテーマ曲にはしたくない」と強く思ったという。悩み抜いた末にたどり着いたのは、明子さんの視点から見た世界を、小さな手持ちカメラで撮影するように描く手法だった。「明子さんはその日の朝まで元気だった。被爆の瞬間も、何が起きたのか理解できなかっただろう」

 75年前の少女が見た光景は、今も世界各地で犠牲になっている無数の「明子さん」の目前に広がっている。「広島での世界初演は意義深い。50年先まで演奏され続ける曲になってほしい」。6日の公演はインターネットを通じ生配信される。明子さんとピアノの思いを乗せて、協奏曲は世界に響く。(西村文)

    ◇

 「Akiko’s Piano」を奏でる「平和の夕べ」コンサートは6日午後6時45分、広島文化学園HBGホール(中区)で開演。広響事務局☎082(532)3080。

ふじくら・だい

 1977年、大阪府生まれ。中学卒業後に渡英。現地の高校を経て、トリニティ音楽大などで作曲を学ぶ。国際ウィーン作曲賞、尾高賞など受賞多数。

(2020年8月6日朝刊掲載)

平和を奏でる明子さんのピアノ 第3部 協奏曲に乗せて <上> ピアニスト 萩原麻未

平和を奏でる明子さんのピアノ 第3部 協奏曲に乗せて <中> 指揮者 下野竜也

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