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連載・特集

被爆75年 幸子さんの手紙 <下>

戦時の日常 ぐっと身近に

 あの日、被爆死したひいおばあちゃんの手紙は、75年の時を経て、ひ孫たちの手元にも届いた。広島市大手町(現中区)で亡くなった横山幸子(さちこ)さん=当時(31)=が、学童疎開先の長男豊さん=当時(10)=らに送り続けた24通。原爆投下前の家族の暮らしに、若い世代も思いをはせる。(山下美波、林淳一郎)

ひ孫 広島工業大3年 岡本英一郎さん(20)=呉市

当時10歳の祖父 つらさ計り知れない

 本当は息子と一緒に植木鉢を育てたかったんだろうな。そんな思いが伝わってくるというか。SNS(会員制交流サイト)がないこと以外は、当時と今の自分たちの暮らしはそんなに変わらないなと、逆にびっくりしました。戦時中の手紙とは思えないです。

 こういう普通の状況が、原爆で一瞬で壊れたんだなって。悲惨な状況を語られるとか、映像を見せられるよりも、悲しい気分になりました。自分らと何ら変わりない生活なのに、このあとすぐ亡くなってしまう。そう考えると悲しい。自分らが同じ状況に置かれたらって、すごい考えました。

 おじいちゃん(豊=1998年に63歳で死去)とは会ったことないけど、原爆で両親を亡くしたのは母から聞いていました。そのつらさって計り知れない。だから、すごく気丈だなって。当時10歳でしょ。親元を離れて疎開するってこと自体が考えられない。

 ひいおばあちゃん(幸子)も、おじいちゃんも戦争が終わったら、「家族一緒に」というのが一番の願いだったと思うんですけど。手紙の一文一文に心がこもっていて。それがかなわなかったのはほんと、やるせない。

宮原高3年 紗季さん(17)

 戦時中はもっと壮絶なイメージで、遠い存在みたいな感じでした。でも手紙を読むと、ちょっと違う。

 ひいおばあちゃんって、すごい活発そうな人で、疎開先のおじいちゃんを明るく励まそうとしていて。学校の同級生とも手紙を見ながら話しました。昔のことなんだけど「なんか身近に感じるね」って。

 手紙を見たことしの8月6日は、特別な感じがしました。自分の部屋の窓を開け、広島に向かい手を合わせました。おじいちゃんに会ってみたかった。ひいおばあちゃんたちを原爆で亡くした悲しみと闘い、乗り越えようとしたんだって思うんです。

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ひ孫 アルバイト 上田そらのさん(23)=広島市安佐南区

私たちへ命つないでくれた

 意外、というか、手紙の中のひいおばあちゃん(幸子)ってユニークで面白い。私の勝手なイメージだけど、戦前の人って真面目すぎるくらいだと思っていたから。

 ユニークで明るいところは、ばあば(蓉子)とそっくりだと思う。みんなで楽しくおしゃべりするのが好きだし。でも原爆の時、ばあばは7歳。めっちゃ、ちっちゃい。その時に両親を亡くしたなんて。すごくつらかっただろうけど、ずっと笑顔で過ごして。何て言えばいいのかな…。えらいというか、すごいと思う。

 でも、ばあばたちが一生懸命、つなげてくれたというか。だから今、こうしてみんな不自由なく暮らせているのかなって。手紙を読むまであまり考えたことがなかったけど、そんな気がします。

アルバイト みのりさん(20)

 原爆のことは広島に住んでいたら勉強するじゃないですか。だから知っている感じだったんですけど、被爆前の暮らしは全然知らなかった。白黒写真のイメージだし。

 手紙を読んでびっくりしました。ばあばは小さい頃も、おちゃめというか、きゃぴきゃぴして。今と変わらない。戦時中だけど、今と違う楽しいことはあったんだろうな。

 これまで学校の平和学習で聞いたのは、8月6日当日の話が多かったです。その朝からの様子だけを知っていて、違う世界だなって感じ。それまでの生活とかって聞いたことがなかったし。でも当時の暮らしを知ることで身近に思えてくるし、理解もしやすくなる気がします。

(2020年8月7日朝刊掲載)

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