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連載・特集

戦後75年の夏 回天 遺品初のデジタル化 <下> 記憶継承は現地主義

ネット公開 予定せず

「世界に発信」求める声も

 米ウィスコンシン州に暮らす歴史家マイケル・メアさん(65)は、父が太平洋戦争で日本軍の人間魚雷「回天」に撃沈された米軍の給油艦ミシシネワに乗っていた。「ミシシネワと回天の悲劇を語り継ぐ。父と交わした約束を果たしたい」との思いで昨年11月、回天の訓練基地があった周南市大津島を初めて訪れた。

 沈みゆく給油艦から海に飛び込み助かった父。大人になってから戦争体験を聞いたメアさんは2014年、米国の関係者約300人の証言を基に書籍「KAITEN」を出版。大津島への訪問では回天搭乗員たちの追悼式にも参列した。

 メアさんは帰国後、回天記念館が搭乗員の手紙など資料約1300点をデジタル化したことを知った。米国からメアさんはメールで「デジタル化で保存することは将来の研究者にとって情報の宝庫となるはずだ」とつづった。

 歴史資料をデジタル化して公開する動きは各地で広がる。長崎市では15年、炭鉱があった世界文化遺産の「軍艦島」と呼ばれる端島への訪問を疑似体験できる民間のミュージアムが海を隔てた本土側にオープン。ゴーグル型の装置をかぶれば仮想空間で島を巡り歴史を学べる仕組みだ。

広島「制限ない」

 無人島の軍艦島に上陸はできるが、見学場所は限られ台風などでフェリーが欠航することも多い。ミュージアムの桑岡文ディレクターは「最新技術を使い本土側で上陸体験を補うことができ、難しい歴史も視覚的に分かりやすく伝えられる」と強調する。

 那覇市歴史博物館も14年から沖縄戦などの写真を中心に約2万点をインターネットで公開している。外間政明学芸員は「市所蔵の資料は全て公開するのが基本方針。全国から問い合わせがあり沖縄戦の研究の幅が広がっている」と話す。ネットでの公開前に年十数件だった論文や雑誌への資料の掲載希望は現在、年300件以上に急増している。

 一方、回天記念館を運営する周南市は約1千万円費やしデジタル化した資料をインターネットで公開していない。報道機関にも「遺族の了解がない」と資料の画像提供に応じず、見学者が館内の遺影などを撮影してツイッターなどに上げることも認めていない。これに対し、広島市の原爆資料館は「著作権が絡むものなどを除き、展示資料をネットで発信することに制限はない」としている。

職員は2人だけ

 周南市地域振興部の江波徹次長は「島を直接訪れ、今も残る遺構などから史実を感じてもらいたいため」とネット公開しない理由を述べる。ただ、昨年度は約1万2千人が大津島に船で渡り記念館を訪れたが、インターネットの発信力とは比べものにならない。遠く離れた米国に暮らすメアさんは「資料を世界中で閲覧できるようオンライン化してほしい」と希望する。

 また、記念館が所蔵する手紙など遺品約1300点のうち、今回のデジタル化以前に公開されたことがあるのは約300点にすぎない。同館で資料を整理するのは再任用の職員2人だけで追い付いていないのが現状だ。

 同館の三崎英和研究員(64)は「遺族の思いを踏まえると美術品のように頻繁に展示の入れ替えはできない」と話す。これら課題について藤井律子市長は「デジタル資料の公開方法は考えないといけないが、命の尊さや平和を考えてもらうため、まずはもっと多くの人が来島する対策を考えたい」と話している。

 搭乗員たちの追悼を続ける回天顕彰会の原田茂会長(82)=周南市=は、デジタル化の取り組みを評価した上で館内の展示装置が1台しかないとして「多くの来館者が来たときに十分に見てもらうのが難しい。インターネットでの公開を含め、せっかくデジタル化した資料の活用方法を探っていかないと」と指摘している。(川上裕、山本真帆)

(2020年8月10日朝刊掲載)

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