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[わがまちの宝] 専教寺本堂(北広島町) 涙で見詰めた天井 一新 児童疎開の寺 住民ら花描く

 北広島町本地の専教寺は75年前の太平洋戦争末期、広島市からの疎開児童が本堂に寝泊まりした。かつて子どもたちが家族恋しさに涙ながら見詰めたとされるその本堂の天井は今、色とりどりの花の絵で彩られている。傷みを修復し、戦争に関わる歴史を伝えようと、寺が住民たちに呼び掛けて描いてもらった板を天井に並べている。

 田畑の中にある築約260年の木造の本堂。1945年の4月から約4カ月、神崎国民学校(現神崎小、広島市中区)の児童約40人が寝泊まりした。同寺に疎開し、原爆で家族6人を失った坂口博美さん(86)=西区=は「知らない場所へ行く不安が大きく、夜には泣く子がいた」と振り返る。

 格子状の天井の一部にはもともと家紋とみられる模様の天井画があった。しかし傷みが目立ってきたため2018年、中野道演住職(70)や総代会、長女でチョークアート作家の智渚(ちさ)さん(40)が住民たちに天井画制作への協力を呼び掛けた。

 応じたのは5~96歳の約140人。それぞれがハスやアサガオ、ヒマワリ、チューリップなどを棒状のオイルパステルで鮮やかに描いた黒い板(36センチ四方)140枚を、格子状の天井に並べた。

 寺は、家族と離れた寂しさ、空腹の苦しさ、原爆の閃光(せんこう)を目にした様子などを、当時の児童や教員が後年振り返ってつづった手記も保管する。智渚さんは、こうした歴史を知ってもらおうと本堂を舞台に、手記の紹介や音楽ライブなどのイベントを18年8月から夏に開いてきた。

 今年のイベントは、新型コロナウイルス感染拡大のために中止したが、来年は開催を目指す。智渚さんは「75年前の事実を語り継ぎ、次世代に平和の大切さを伝えたい」と話している。15日は終戦の日。(山田太一)

(2020年8月15日朝刊掲載)

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