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連載・特集

継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第4部 呉空襲と今 <3> 映画がつなぐ

「この世界」関心高める

戦時下の光景 リアルに

 笑みを浮かべる主人公「すず」のパネルや、出港する軍艦を描いたポスター、ロケ地マップ…。呉市中通の街かど市民ギャラリー90(くれ)に設けられたアニメ映画「この世界の片隅に」のコーナーは、呉観光のスポットの一つだ。戦時下の呉などを描き、異例のヒットを記録した同作の公開は2016年秋。今も記念撮影に訪れるファンがいる。

 「戦艦大和以外でも呉が注目されるようになった」と喜ぶのは、映画を製作段階から応援した「『この世界の片隅に』を支援する呉・広島の会」のメンバーで呉市の桝井文子さん(80)。交代でギャラリーの窓口業務も担う。思い入れがとりわけ深いのは、太平洋戦争末期の呉への一連の空襲も描いているから。桝井さんはその体験者である。

体験者の話聞く

 映画を世に送った片渕須直監督は、当時の呉を再現しようと入念な調査を重ね、空襲体験者の話も聞いた。桝井さんもその一人。ただ、片渕監督と会う前の桝井さんは「思い出すと涙が出てくる」と、家族にも体験を話せなかった。作画にこだわり抜く片渕監督の熱意に打たれ、「この目で見た実際の光景を伝えたい」と思ったという。

席立てなかった

 大戦末期、5歳だった桝井さんは、父母や祖父母たちと市街地西側の山手地区に住んでいた。1945年7月1日の呉空襲の夜は、皆で近くの山へ避難した。「振り返ると、飛行機からちょうちんのような赤い玉が降り注いでいた」。目に焼き付いた光景を片渕監督に語った。完成した映画を見た時は「記憶と感情が押し寄せてきて、しばらく席を立てなかった」と言う。

 「支援する会」の代表を務める呉市の大年健二さん(74)は「空襲を含めた呉の歴史がしっかり描かれ、全国の人がそれに触れることになった」と話す。作中、すずは時限爆弾の爆発に巻き込まれ、連れていた義理のめいの命と、自分の右手を失う。すずの痛み、そして空襲の恐怖がリアルに伝わってくる。

 同作は、かつての呉の街並みもスクリーンに生き生きとよみがえらせた。すずと夫の周作がデートする小春橋、今は青山クラブと呼ばれる下士官兵集会所など、今も残る建造物も少なくない。桝井さんは頼まれて、県外からの修学旅行生をそれらに案内したこともある。話は自身の空襲体験にも及んだ。「一生懸命に聞いてくれた」。映画がつなぐ出会いと記憶の継承に、手応えを感じている。(仁科裕成)

(2020年8月18日朝刊掲載)

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