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戦死門徒追悼 痛みを忘れない 益田の浄土真宗本願寺派正法寺 46人の最期 記録集に

元少年兵、遺族に聞き取り

 戦後75年。全国で戦没者の追悼行事を終了する動きが目立つ中、益田市横田町の浄土真宗本願寺派正法寺では昨年から、戦死した門徒の追悼法要を営み始めた。寺の総代長で自身も少年飛行兵だった伊藤義照さん(89)の強い願いが、寺や地域を動かした。「戦争のむごさ、愚かさ。命あるうちに後世に伝えるきっかけをつくりたくて」。古里が負った戦争の痛み―。浮き彫りにし、かみしめて次代につなぐ。(久行大輝)

 JR益田駅から南西に車で約20分。高津川と匹見川の合流点近く、田畑が広がるのどかな風景の中に正法寺はある。今年の追悼法要は22日にあった。約70人が参列し、地元から日中戦争、太平洋戦争の戦地に赴いた46人の死を悼んだ。

軍服姿 写真添える

 参列者には悟りの境地を表す「涅槃(ねはん)」と書いた20ページの小冊子が配られた。46人の個々の最期の記録集だ。「昭和19年7月7日戦死 駆逐艦薄雲 海軍2等兵曹 北太平洋方面」などと死亡した日付と場所が記述され、軍服姿の写真が添えてある。寺での追悼法要を始めるにあたり、伊藤さんと前住職の須山羚治さん(79)が遺族を訪ね歩き、情報を集めて作成したものだ。

 じっと記録集に見入る参列者たち。戦没者は20代の若者が多い。最期の地は中国大陸11人、フィリピンのルソン島4人とレイテ島2人。東部ニューギニア、ミャンマーで亡くなった人も。敗戦後シベリアに抑留され、収容所で死亡した3人も含まれる。

 「この地域からもいろんな所へ駆り出された。もっと生きたかっただろう、無念だったろうなあ」。伊藤さんは手を合わせ、それぞれの人生に思いをはせた。自分も、この中の一人になったかもしれなかった。

 太平洋戦争末期の1945年1月、海軍飛行予科練習生として防府市の旧防府海軍通信学校に入校。終戦まで厳しい訓練に励んだ。その間、多くの同期が特攻兵器「回天」の訓練基地があった周南市大津島に配属されたという。「14歳で家族や故郷と別れ、命を捨てる覚悟をした。戦争が続けば、いずれ私も特攻隊員として出撃したでしょう」と振り返る。

命を無駄にしない

 生き残らせてもらった命を無駄にするものかと、戦後をがむしゃらに生きてきた。ただ年を重ねるごとに、伊藤さんは戦争体験の風化が心に引っ掛かるようになった。十分に伝えてきたか、残せているか。若い世代にも「わがこと」として戦争を見つめてもらうには、どうしたらいいか―。

 「それはわが地域の戦争の痛みを目に見えるようにすることだと思うたんです」。寺の門徒に何が起きたか、どんな悲しみがあったか。2018年8月から丸1年をかけてまずは43人分の記録集を完成させた。「まさに、戦争を知らない世代と戦没者をつなぐ糸のようなもの」と捉える。

 昨年8月に完成したばかりの記録集を基に、寺での初の追悼法要を営んだ。その後判明した3人分の情報を追加し、今年の法要に臨んだ。伊藤さんの熱意に応えた須山さんは「寺はずっと同じ場所にある。寺が地域の戦争犠牲者の記憶を受け継ぐ契機になれば」と話す。

 実際、今年の法要には戦争を知らない孫世代の遺族も参列していた。伊藤さんは「法要という追悼の場があってこそ、戦争の恐ろしさを共有し、平和への誓いが切実なものになる。戦争を風化させないために、地域で大切に、寺の法要を守り続けてもらいたい」と願っている。

(2020年8月31日朝刊掲載)

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