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社説・コラム

『潮流』 足元の戦後75年

■岡山支局長 伊東雅之

 今年の夏は、「戦後75年」を冠した連載や特集が各メディアにあふれた。

 そんな中、今年春に赴任した岡山で少々面食らうことがあった。8月6日、広島市で営まれた平和記念式典が、1局でしかテレビ中継されていなかったからだ。

 郷里の広島では、地上波のほぼ全局が中継するため、それが当然のように思っていた。自らの無知を悟る一方で、75年の節目を考えると何か引っ掛かるものも感じた。

 だが、岡山市主催の「岡山戦災の記録と写真展」を見てハッとさせられた。自分自身、他地域の「75年」にどこまで関心を寄せていたかと。ここでは1945年6月29日、少なくとも1737人が犠牲となった岡山空襲があった。だが、つい数カ月までこの空襲に関する知識は何一つ持ち合わせていなかった。

 この企画展は当時の遺品や写真を並べ、毎年6月29日を挟んで約1カ月開かれる。「戦後75年 資料と記憶の保存と継承」をテーマにした今年は、空襲から約1カ月後、焼け野原の市中心部を撮影した長さ約4・5メートルのモノクロ写真も並んだ。地元新聞社のカメラマンが撮った写真14枚を、遺族から譲り受けた市が修復、接合して展示につなげた。3年後、同じアングルで撮られた写真もあり、復興の様子も確認できた。

 一方、地元の画家が、終戦半年後の市内を描いた20枚の水彩スケッチも遺族による保管が判明し、展示が実現した。こちらは当時の街や人々の姿が豊かな色彩で記録されている。

 中国新聞は長期連載「ヒロシマの空白」で、戦後75年を経ても未解明の被爆の実態に迫ってきた。戦争を知る世代が減る中、埋もれた資料に光を当て、継承していく作業はさらに重要になるだろう。そこでは伝える側の見識と姿勢も問われることを肝に銘じたい。

(2020年9月8日朝刊掲載)

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